''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

喫茶チョ去(きっさチョコ)

2月14日はご存知バレンタインディーです。
今日は土曜日ということもあり、今一売り上げの方には貢献出来ていないようですかね。
仕事場やオフィスに義理なるものも薄くなっています。

結構結構です。本命さえあればと思うご仁も多いはず。
本命対抗がないとすれば、義理こそありがたいです。
マイオフィスにも、喜徳な方々からの愛の篭った贈り物が届いておりました。
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ありがたいことです。

こりゃうまいです。
ビターな苦味と口どけのサックリ感です。クッキー地になっていて心地よい香りです。
マイオフィスと仕事場合わせて2個の大切なチョコじっくりと吟味させてもらいます。
時に涙が頬を伝います。
ちょっぴりセンチミリミリになっています。

みなさんの励ましに、格調高いブログにせねばなりません。
禅の言葉、禅語に「喫茶去(きっさこ)」と言うのがあります。
茶席のお軸になっていたりするのを見かけます。
茶室にも合いそうなありがたい言葉です。

中国禅の大巨匠、趙州禅師(じょうしゅう)の会話が由来です。
もともとは、「お茶でも飲んで来い」と相手を叱咤する言葉の意味とも解説されている方もおいでです。
「喫茶去」の文字は『趙州喫茶去』の公案から来ている言葉です。
公案とは禅の問答というか、仏の悟りやみ教えを書いた問題集のようなものです。
すでに答えが出ているものもあれば、現在も答えを公開されないものもあるようです。
今でも修行されている禅の坊さんおいでですからね。

文字の中に去れが入っているからと言って「お茶を飲んだら去れ」と言う意味ではありません。
多くの書物では
 「まあ、お茶でも召し上がれ」
というような意味に解釈されているように解説されています。

趙州禅師と若い僧との会話が基になっています。
要するに、趙州禅師は、僧に何を尋ねられようが「喫茶去」としか言われないんです。
「お茶でも召し上がれ」なんですね。

私的には「はい。はい」という感じと受け止めています。
呆けている訳じゃないんです。

歴史に名を残す禅の達人です。
奥が深いんです。凡人の域に居ては永久に分からない空間があります。

寒山拾得の会話が思い出されます。
「山へ行こうか? 川へ行こうか?」
「空へ行こうよ」
ぼけぼけの会話です。

でも、そこには物事の真理がここには隠れています。
虚と実のはざ間に、真理真正があるようにも思えます。

難しい話はさておいて、チョコでも如何ですか?

そんなときは「喫茶チョ去(きっさちょこ)」、「チョコでも、お一つ召し上がれ」と洒落込みました。

Yukiちゃん風にチョコをチョコツとだけと言うのも大変ワカイイです。
「喫茶チョ去(きっさちょこ)」は茶人なら大うけですよ。
みなさん、茶席でチョコをお渡しするとき「喫茶チョ去(きっさちょこ)」とおっしゃると思います。このブログご覧になっていたら間違いないですね。

傑作の言葉と自負しております。
もちろん、かんとうしょうえの造語です。

茶室への露地へのいざなぎは、このテーマにてどうぞ。
[http://blogs.yahoo.co.jp/ryas1776/23427346.html ]←和の奏(KANADE)

今日も人の優しさに触れました。
ありがたいと思う気持ちでいっぱいです。
皆さんに感謝いたします。

最後までお読みくださって本当にありがとさんです。