''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

通過点 今年も梅が咲きました。

今年も梅が咲きました。
数日の陽気に誘われてつぼみが花になりましたね。
もうすぐ春です。

一年は早いものです。
この一年は大変充実した一年です。
毎日毎日を静かに見つめた一年です。
日々のこと、食のこと、四季のこと、健康のこと、真摯に受け止められた一年でしたね。
3年分ほどの凝縮した一年でした。
春、夏、秋、冬、そしてまた春です。
めぐりめぐって振出です。
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人生双六ではまだまだ、中盤です。
人として「生かされている」と実感し、感謝に「ありがたい」と素直になれる時間の毎日です。私は仏教徒ですから、御仏に日々感謝です。

うっすらと自分の天命が聞こえて来た様な気になっています。
勝手な思い上がりでもあります。
日々の生活を見つめることが「生かされている」証明です。

仏教的に証明というわれるものに3種類あります。
天の証明、地の証明、人の証明です。
またしく「天地人」です。仏教的な思想です。
これなくして「正義」も「愛」もありません。

誰に対しての証明か?

自分に対しての証明でしょうね。
「生かされている」という証しです。
天にも地にも人にもその存在を認められていることになります。

人それぞれ、天命の主が違っても、その存在に対するありがたいという感謝の念は同じはずです。

まずは、今日を精一杯過ごす。
自分のためにも、家族のためにも、人のためにも、自分として精一杯生きるだけです。
でも、がんばれというのではありません。

花は、精一杯咲いています。でも意識はありません。
「綺麗でしょう」「見て見て」とも言いません。普通に咲いているだけです。
それを綺麗というか汚いというかは別です。

名もない花も咲いています。
人に見えない路地の道端にも、垣根の端でも、咲いていることには違いは有りません。
花として精一杯咲いています。花としての本能です。
ですから、意識的にがんばったりしていません。

人も「精一杯生きること」と「がんばること」は違うように思います。
疲れたら、休めばいいし、息を抜くことも必要です。

人として生かされていることに気持ちの芯に持っていると、おのずと自分の存在を無意識の内に捉(とら)えます。

あなたは必要とされています。
それだけです。

一年は同じ一年です。
でも、同じ一年はありません。
一期一会ですね。四季を感じた一年でも有りました。
そう実感出来る一年でした。

感謝の念と同時にありがたいとつくづく思う今日です。
あくまで通過点です。
意識せず、食事するが如く、眠るが如く、続くことを願って!!

皆さんに支えて頂きました。
最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。