''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

一足お先に満開です。

東福寺の交番前公園の桜は、既に満開を超えています。
こちらもまだ肌寒い中での満開です。
毎年早咲きの桜です。
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伏見の疎水沿いにも一足先に盛り上がっている桜があります。
この桜も毎年早咲きです。
そんなに急いで咲いても人はじっくりと眺めてくれませんよ。
肌寒さと桜は似合いません。
この時期は、徐々に梅から入ってと順番が必要です。

人も心の準備が必要です。
温かくなってなんだか外に出かけようかとこころにゆとりが出ると、そろそろお出かけです。出かけたなら、お弁当に、お酒にと、花見の宴も盛り上がります。
寒空に首にマフラー巻いてじっとしては居られませんからね。
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でもきれいに咲いているので記念に写真撮りました。
じっと見ていると桜の木の気持ちが見えるような気になります。

桜の木に手をそっと添えます。
生きている息吹を感じます。
手で触れた瞬間、ぞっくとした感触があります。
木の精に問いかけます。

言葉ではなく、私の鼓動にリズムを奏で(KANADE)ます。
「サーサー」という、かすかな音にもならない音です。
目を閉じてじっと耳を澄ませます。
両手で木を添えると、リズムの音色の高さが変わるように変調をきたすかのようです。

心臓の脈がかすかに変わるような気がします。
そっと手を離すと何か違うような気がします。
もう一度、手を木に添えます。

やっぱり何かあるようです。
これが桜の木の息吹であり、「木の精のささやき」かも知れません。
いえいえ、それは字の違う「気のせい」と世間様は言うかもしれません。

でも、春を待ち遠しいと一足先に咲き乱れます。
この桜には、今このときが春と感じているのでしょうね。
そんな桜も「きれいや」と賛辞の言葉もかけてあげますよ。

きれいという言葉には、関西弁はもっちゃりしすぎていますね。
「きれいだね」の方がもっときれいに感じます。

昨日は、モナ月暦によりますと11日は満月です。
昨日は見れなかったけれど10日の深夜、つまり11日の満月はきれいでしたね。
京都の寒空に、天を仰いで月を見ました。
見られなかった方はKANADEで楽しんで下さい。


こころのバッテリーは、充電(ビンビン)しました。(♪どうしたんだ~ )R40
安っぽいバッテリーなんですぐに充電完了です。
時間でも量でも質でもありません。こころの持ちようです。

花がきれいに咲いている。
「あーきれいだ」と思える気持ちで、それを見てこころに届く。
何気に夜空を見上げ、月を見て「あーきれいだ」と思える気持ちです。
こころの隙間を埋める。こころを癒してくれます。
「打(た)す」とは、感動して心を打つの打つです。

そんな心地よさを感じましたね。
生かされていると実感です。生きていることを実感です。
感謝の気持ちも感じます。
ありがたいことです。

人の気持ちも春を迎える準備は必要です。
自然を肌で感じる。目で耳で鼻で舌で感じる。
五感で春を感じる準備は出来ておられますか?
すぐに待ちに待った春ですよ。

最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。