''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

北大路魯山人と山椒魚

北大路魯山人と言えば、書家で陶芸家で美食家としても有名です。
コミックの『美味しんぼ』(おいしんぼ)に出てくる海原雄山のモデルです。

最初の頃の話は、魯山人の逸話をストーリーに使っていました。
鴨に粉わさびとか、魯山人風のすき焼きとかありますね。
元本の一つがこの『魯山人味道』(中央文庫)です。
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平野雅章氏による編集です。他にも『魯山人陶説』という陶芸の本もあります。
内容は魯山人自身の書いたものや発言したことをまとめています。
なかなか面白い本です。

ご存知、平野雅章氏と言えば『料理の鉄人』の最初の頃の審査員です。
白いひげをした物腰の柔らかな老人です。
みなさんもお顔はご存知ですよね。

その平野氏には、「魯山人の愛弟子(まなでし)」とキャッチフレーズが付きます。
でも、本当は公私に亘って面倒を見たという秘書と言う方が正しいと思います。
近くにいて一番、魯山人を知る数少ない人物です。

大変気難しい人のようです。申し上げにくいですが、人としては尊敬に値しません。
しかし、芸術として完成度が高い作品を多く残しています。
同時に数万点という作品には、完成度の低い作品も多くあります。
芸術と同時に商売をしていたと言う実業家としての面もあります。

「美食倶楽部」や「岡星茶寮」の創業すると共に、そこで使用する食器(陶器・漆器)を創案制作していました。料理も魯山人の考えた料理です。

魯山人は、料理人ではありません。
こうするのが美味いとか、どこのどんなものが美味いとか、知識が豊富でしたし、実際生まれながらの感覚に優れた人でしたね。これが美味いという信念があったようです。
しかし、周りの人には分かってもらえないことも多かったようです。

ですから余計に真実を追究するようなになったのかもしれないですね。
そういう意味ではこの本『魯山人味道』は貴重な存在です。

いろんなものを食べて来ています。
そのなかで、一番美味いものと聞かれると、この魯山人は「山椒魚」を上げるでしょうね。
もちろんはっきりは書いてありませんが、天然記念物の大山椒魚です。
普通は食べる機会がないですね。
ちょっとゲテモノですよ。

山椒魚は名前のごとく、山椒の匂いがします。(へぇー。へぇー。へぇー。満へぇーです)
怒らすと体から白く液出します。それが山椒の匂いに似ているのです。

魯山人いわく、長時間煮ても柔らかくならない。一度冷ましてからの方が柔らかくなり、味も次の日の方がうまいといいます。
味はすっぽんと遜色がないほどの美味(びみ)らしいです。
それ以上にすっぽんには一種の臭みがあるが、山椒魚にはこのすっぽんのアクを抜いたような、すっきりした上品な味と記されている。

おいしさの位置づけでは、すっぽんとふぐの合の子と喩えている。
肉もうまいが、ゼラチン質が美味いと書かれている。

もっと驚くべきは、たまたま山椒魚の入荷したときに、すし屋の久兵衛が居合わせて、調理も志願したと記載されている。
久兵衛氏は、最初はガタガタ震えながら3匹もさばいたとも書かれている。
すし屋の久兵衛とは、今や超高級すし屋、銀座久兵衛ですね。
間違いなし。(ちょっと古い)

なんともすごい話が散りばめられている。

この本の面白さは、魯山人と人間としての魅力でなく、物に対する考え方とその先見性にある。
今の和食の料理人が白衣を着るのは、この魯山人が最初に指示したとによる。
料理も芸術であると世界で最初に掲げた人物である。

料理人が、有名になることなどない時代である。
それまで料理人は使用人として位置づけしかなかった。

有名な料理屋でも、主人と料理長とは別々の位置づけで、要するに単なる使用人の関係です。
料理長がほめられることもなかったし、誰が料理長かなんかはどうでもいいことの一つです。
どこの料理屋で、料理を頂くかの格付けですからね。

「食」を中心に置いた総合プロデューサーですね。
もちろん総料理長兼務です。

ですから、その使う器もこだわります。
陶芸の世界と料理の世界では、物の見る味方が違います。

見た目のいい器と、料理して盛りやすい、使いやすい器とは違います。
なんじゃこんな器と思う器が魯山人には多いです。
でも、料理に盛ると納まりがいいんです。
これは言えますね。
料理を盛る料理人の気持ちで器を作っています。
安土桃山の古田織部にも通じるものがあります。

芸術の原点が見えるような気がします。
自己表現、これが芸術ですね。
人にどう思われようが、これがいいと実行することが大切とも感じることがあります。
今でいう「ぶれない」んですね。

この本からでもいろいろと学べます。
季節を感じ、物事も見つめ、それを一身に追求する。
この本との出合いに感謝です。

私的には生きていること、を実感するようにも感じます。
謙虚に、生きているわけでなく、生かされていると強く感じます。。

残念なのは、魯山人にはこうした謙虚さはあまり感じられません。
素の魯山人が垣間見れる本でもあります。

最後待てお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。
皆様も自分の一生に影響される本に恵まれますことをお祈りします。