''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ふぐのひれ酒 京都「春帆楼」より

昨日は春が近いと言うのに冷えました。
冬に戻ったかなような強い冷え込みの京都でした。
仕事帰りに晩酌を物色中にいいもの見つけました。
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「黄桜 ふくのひれ酒 下関 春帆楼」(320円)です。
下関 春帆楼の特性のとらふぐの焼ひれ2枚が入っています。

 

箱書きには、春帆楼の歴史が書かれています。
源平合戦をはじめ数々の歴史の表舞台となった関門海峡の壇ノ浦を望む高台に位置する、ふく料亭「春帆楼」は伊藤博文公が”春の海の帆船”を心に描いて命名されたものと書かれています。

 

それ以上に明治21年までご禁制であったふぐ料理を「春帆楼」を食されて、日本で最初のふく料理公許第一号を与えられたととも記載されています。

 

その上、明治28年の日清講和会議の平和条約締結会場になっていたとも書かれています。
「へぇー。へぇー。へぇー(満へぇーです)」
実は何度も買っていますので知っていました。

 

山口では「ふぐ」と濁って言わずに「ふく」というようですね。幸福のふくです。
ですから「ふくのひれ酒」です。

 

「ふぐ」と言えば、故・桂吉朝の「ふぐ鍋」の落語の噺が思い出されます。
話のあらすじは、旦那がふぐを貰って来た。
しかし、旦那はまだふぐを食べたことがなかった。
鍋にしたものの不安で箸が付かない。

 

そんな折出入りの者が訪ねてくる。
「まーあがり」と鍋を一緒にと薦める。
何鍋かと聞かれると「あれやがせなぁ」「・・・鍋」と言葉濁す旦那です。
このやり取りがなかなか面白い。

 

怖がって困っていると、お店(たな)にお菰(こも)がやって来る。
お菰(こも)とは、物貰いや乞食ですかね。
このお菰に食べされてから、頂こうとする悪巧みです。
浅はかな考えです。自分達のために人の命で毒味されようとするのですからね。
そっと覗きに行くと食べても平気なようです。

 

それから二人してふぐ鍋頂きます。
美味いに決まっています。
その食べる前と食べた後との人物の表現がなかなかいいですね。

 

「落ちは?」と尋ねられると、
二人が食べた頃に、さっきのお菰(こも)がやって来ます。
二人が食べたことを確認してから、このお菰もさっき頂いたふぐ鍋を頂きますと言います。

 

実は、二人の方が、お菰(こも)の毒味役にされていました。
♪ちゃん、りん。ちゃん、りん。でん。でん。

 

江戸時代を通じて、ふぐの毒で命を落とす人が後を絶ちませんでした。
ですから最初の禁制をとれた「春帆楼」のような公許が必要でした。

 

落語の話に入っているくらいですから、世間にはよくある話だったんですね。
同じく「らくだ」という落語があります。
関西では「らくだの葬れん(そうれん)」といいます。

 

この話「らくだ」といいながら、主人公「らくだ」は登場しません。
「らくだ」はあだ名です。この人が死んだところから話が始まります。
この死因が、ふぐの中毒死です。
それだけ、怖いものであり、食通をうならせる魅力があります。

 

ふぐは美味しいですね。
その代用品がないです。
鯛も美味いが、ふぐの比ではない。
ふぐの前ではブロガーも写真を撮り忘れることがあります。
至福がそこにあります。(Yukiちゃん、笑い過ぎです。)

 

「ふぐ汁や 鯛もあるのに 無分別」 by芭蕉

 

無分別にさせられますね。
昨日は寒い風が、外にも懐にも吹いていましたので、一人手酌のひれ酒で慰労します。
これでも結構美味いです。
少しだけ風味がします。しますという程度です。
「今日はこの辺にしといたる」

 

ささやかな「よかった」と共に一日が元気で過ごさせて頂いたことに感謝です。
ありがたいですね。感謝というマドラーで、ひれの燗酒の混ぜます。
すこし色つきました。ありがとさんです。

 

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。