''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鉈鞘籠花入(なたのさや)

箱書きには「なたのさや 花入」と利休の筆で書かれているとのことです。
『別冊太陽 千利休』P65より(個人蔵)

 

どう見ても古びれた鉈を入れる籠です。
長細い荒く編まれた籠です。
柱に掛けて花を生けるのです。
ここに侘びを求めたのですね。
どんな花を生けるといいでしょうね。
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利休より薮内剣中(けんちゅう)に渡り、剣中の女婿の古田織部が懇望したけれど許されず、思い余ってひそかに持ち帰ったのをひどく叱責され、詫び状を添えてこの花入れを戻したエピソードが伝えられていると書かれています。(「四百年忌 千利休展」図録よりの転記)

 

パクッ茶ー、ダメ。ダメ。
古田も大名であり、茶の道では一派をなすほどの茶人です。
すぐには信じられない記載です。
でも、子供じゃないのだから、私(わたくし)したらダメですね。
人の精神と、人として器は違うのかもしれませんね。
侘びの精神だけに、詫び状というのが面白いです。(今日も笑うとこはここだけですよ。)

 

たしかに見れば見るほど引き付けられますね。
どこにでもある鉈を入れる竹籠です。
当時なら、どこにでもありそうなものですが、この侘びた形と確かに趣があります。
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利休の名物は、普段使いの道具に着目することがすごいです。
どこにでも目を光らせて、四六時中お茶のことばかり考えていそうな気がします。

 

日々生活の中で物ごとを広く捉え、森も一本の木の寄せ集めです。
でも「森を見て、木を見ず」の例えもあります。
なかなか気づかないこと多いです。

 

幸せはなかなか実感しませんね。
なにか不幸がやってくると、日々の生活が幸せであったと思い知るものです。
こころにゆとりを持って、どんな中でも幸せは身近に落ちていますよ。

 

それを一つ、一つと見つけることが幸せに繋がるように思えます。
今日も一つ見つけてみませんか?

 

あるでしょう。

 

ないと思われるなら、穏やかに過ごせたことに、一日を無事に過ごせたことに感謝です。

 

今日お休みなら、ゆっくりしたり、自分がやるべきことをやればいい。
もし出勤なら、やるべき仕事があることに、必要とされていることに感謝すればいいだけです。

 

これも感謝、あれも感謝じゃ。押し売りになります。
仕事終わりに、寝られる前、一日過ごせたと「一度の感謝」で十分ですね。

 

数日の寒さから暖かい日差しになっています。
最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。