''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

しょうき(鍾馗)の沙汰。

しょうきと言っても、正気のことではありません。
怖そうな表情をされている鍾馗(しょうき)さまの話です。

 

鍾馗(しょうき)さまをご存知ですか?
閻魔さまとも間違われている方もおいでです。
イメージ 1

鍾馗(しょうき)さまは、主に中国や日本の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より抜粋)

 

どうも現実においでだった中国の唐の方のようです。
いろいろと調べてもすこしずつ食い違いはあるものの次の通りです。

 

唐の6代皇帝玄宗が病気にかかった。
玄宗は高熱のなかで、何者かが鬼を退治してくれる夢を見た。
玄宗が正体を尋ねると、「終南出身の鍾馗」と答えた。
官吏になるため科挙を受験したが夢果せぬまま、自殺したと言う。
覚めると玄宗は、病気が快方していた。
玄宗は著名な画家に命じ、鍾馗の絵姿を描くように命じた。
出来上がった絵は、玄宗が夢で見た姿そのままだった。
玄宗は、鍾馗の絵姿には、魔よけとして邪気を祓う効力があると信じて、世に広めさせた。
この辺は一致している説明だと思います。

 

要するにこの魔よけの効果があるようです。
武将にも、前田利家公はこの鍾馗(しょうき)さまを旗印に使っていましたし、本多平八郎忠勝も鍾馗(しょうき)さまを使っておられたようです。

 

本多平八郎忠勝は、徳川家康重臣中の重臣です。
「家康に過ぎたるものが二つある。唐の頭と本多平八」と言われるほど股肱の臣ですね。
大鹿角の兜に大粒の数珠を首にかけている肖像が目立ちます。

 

鍾馗(しょうき)は、勝機にも繋がりますからね。ダジャレです。ゲンがいいです。
武人にとっても守り神であったようです。

 

武人だけでなく、京都の町家には玄関に鍾馗(しょうき)さまの形の瓦を備え付けられていることが大変多いです。
魔よけの策はいたるところにありますね。

 

家の角に大きな石を置いたり、逆にへこましたりとよくされています。
都ならではの民間信仰でもあります。
こうした京都の待ち歩きの楽しみがあります。

 

写真はとても立派なもので縦に30センチは雄にあります。
こんな大きな鍾馗(しょうき)さまを御祀りする家は大屋敷ですね。
今は静かに庭に安置されています。
ありがたいです。

 

どうぞ、私の魔よけになって下さい。
それとこのブログをご覧になった方の魔も取り除いてください。

 

もうすぐ端午の節句です。端午の節句の神様です。
そのときにはもっと活躍されることでしょう。
そのときは、この神様の威徳にそっと気持ちの中で手を合わせて下さい。
きっとご加護がありますよ。

 

こんなありがたいも日常の生活で見つけることが出来ました。
ささやかな出来事に感謝です。ありがとさんです。

 

最後まで、ゴールデンウィークのなさか、このブログを最後まで読んで頂けたことに、心よりお礼申し上げます。