''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

和をもって尊し。

今日、5月3日は、憲法記念日です。
国民の休日です。

 

我が家では、子供の頃には祝日となれば、日の丸の日本国旗を掲げたものです。
今となっては少なくなりました。
どの家々でもよく見かけましたね。
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この字をなんと読むのかご存知でしょうか?
もちろん造語、造字です。
憲法の「憲」という字です。

 

ウ冠に英語のKで憲という字に当てます。
法律の先生が、手間を省くために書かれる事があります。
納得です。簡単ようで分かりやすい言葉です。
日本語と英語の融合、まさしく調和です。

 

憲法というと、もちろん日本国憲法です。
しかし、日本で憲法というと歴史の時間習った聖徳太子の「十七条憲法」を思い出します。
(以下(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)参照、一部引用、一部抜粋)

 

今日で言う近代憲法とは異なり、官僚や貴族に対する道徳的な規範を示したものであり、今日の国家公務員法地方公務員法、国家公務員倫理法に近い性質のものと言えるようです。

 

聖徳太子という名は平安時代から広く用いられ一般的な呼称となったが、後世につけられた尊称(追号)であるという理由から、近年では「厩戸王」の称に変更している教科書もあるようです。

 

昭和生まれとしては、ちょっと寂しいですね。
もっと言えば、聖徳太子は存在しなかったとの諸説もあります。
一万円札、五千円札のイメージは昭和のイメージなのでしょうかね。

 

敏達天皇3年(574年)、橘豊日皇子(用明天皇)と穴穂部間人皇女との間に生まれました。
厩戸皇子蘇我氏と強い血縁関係にありました。
推古天皇12年(604年)4月3日、「夏四月 丙寅朔戊辰 皇太子親肇作憲法十七條」(『日本書紀』)いわゆる十七条憲法を制定です。

 

皇位につけた推古天皇です。
天皇家史上初の女帝です。
厩戸皇子は皇太子となり、推古天皇元年(593年)4月10日に、摂政となり、天皇を補佐しました。(ちなみに今でも摂政いう制度は残っています)

 

物部氏天皇家とも関係があり、日本古来の神を信じていました。
それに比べ、蘇我氏は渡来の仏を御祀りしていました。
この戦があり、結果的には蘇我氏の勝利によって、仏教国としての日本に船出となります。

 

厩戸皇子物部氏との戦いの際の誓願を守り、摂津国難波に四天王寺を建立した。推古天皇2年(594年)、仏教興隆の詔を発します。
推古天皇3年(595年)、高句麗の僧「慧慈(えじ)」が渡来し、太子の師となり「仏法を篤く保護する」旨の国として方針を打ち出します。

 

百済の僧慧聡(えそう)と住し、ともに「三宝の棟梁」と称されています。
厩戸皇子は、仏教を厚く信仰し、推古天皇23年(615年)までに三経義疏を著しました。

 

三経義疏』(さんぎょうぎしょ)とは、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(伝615年)・『勝鬘経義疏』(伝611年)・『維摩経義疏』(伝613年)の総称である。それぞれ『法華経』・『勝鬘経』・『維摩経』の三経の注釈書である。

 

日本書紀に推古14年(606年)聖徳太子勝鬘経法華経を講じたという記事があることもあり、いずれも聖徳太子の著したものと信じられてきました。

 

法華義疏』のみ聖徳太子真筆の草稿とされるものが残存しているが、『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』に関しては後の時代の写本のみ伝えられています。

 

この書物は御物(天皇家の所有)になっていますが、私はこの写しの書は見たことがあります。息づかいまで感じます。大変達筆です。
私の下手な字とは次元が違うようです。

 

「南嶽慧思後身説(慧思禅師後身説)」と呼ばれる説がありました。
聖徳太子天台宗開祖天台智顗の師・南嶽慧思の生まれ変わりとする説です。
しかし、時代的な合わないようです。

 

中国でも、「南嶽慧思後身説」は知られており、鑑真渡日の動機となったとする説もあり、ここにも偉大なご縁があります。

 

厩戸皇子(うまやどのおうじ)の「厩の前で生まれた」とするのは、いろいろな説があります。その一つにキリスト教ネストリウス派)の引用もあるようです。
これは、高校の時歴史の先生から聞いて驚いたのを、今でも覚えています。
それにお釈迦さまの前世にも同じような話があります。
 
各地に聖徳太子が建てたという寺院が多いです。
我が郷里の播州にも、幾つかあります。
「太子町」というのがあるくらいですからね。
播州にも領地を持っていたのと関係があるようです。

 

日本に多くの宗教があるなかで、やはり、神教と仏教の存在は大きいです。
とくに庶民にあっては、仏教の存在は大きいです。
その根幹をこの聖徳太子が日本という国をまとめるために広められたことは事実だと思います。そのご縁がいま私にもあります。

 

人それぞれ信じる主は違えども、多かれ少なかれ、皆さんにも関係あるはずです。

 

国は民のまとまりです。
民なくして国はありません。
そういう意味で今日の憲法記念日の意味は大きいです。

 

ですから、国民の休日となっています。
たまにはありがたいと感謝しても罰は当たらないように思います。
とりあえず、国民の誰もが思っていても、なかなか気恥ずかしく言えません。

 

言いたい気持ち、感謝されている気持ちは十分に分かります。
でも、口にして、記事にして見ることも大切です。
独りぐらい恥ずかしい愚か者もいなくてはいません。
憲法記念日さん、ありがとさんです」

 

最後まで、ウィキウィキした話ばかりで詰まらない時間をとらせました。
心よりお礼申し上げます。