''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

東山紀行 今熊野(いまくまの)より (上)

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今熊野(いまくまの)の天然記念物 大樟(くすのき)です。
とても大きな木です。ゆうに7階の建物ほどの大きさです。
ビル一戸分もありましょうかね。
大樟大権現と神格化されています。
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後白河上皇が、国家鎮護・万民福祉を祈願されたお手植えの由諸もある立派な木です。
後白河上皇は、お腹の調子が悪かったと書いてあります。このための「お腹の神様」と呼ばれているようです。ここはお祈りします。
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この木のもと、病気平癒に効果のある大樟(くすのき)さんの「さすり木」があります。
つるつるの木です。
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この大樟は東大路を七条下がった新熊野(いまくまの)神社にあります。地名は今熊野(いまくまの)です。神社も正式には、「新熊野(いまくまの)神社」、別名「今熊野神社」ということになります。

熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)、後白河上皇によって創建された神社です。
平安の貴族の夢の一つが熊野参詣です。多くの貴族が熊野詣でに行きました。
その中でも、法皇は一生のうちに34回熊野に参詣されたと記載されてあります。
そのために、熊野神社をこの地に別宮とし創建されたことによります。

創建当時は、今(いま)の新しい熊野としてとらえられていた事に名前の由来があるとの記載です。しかし、本当は、「新」はあらたかな神社として意味が強いようです。
もちろん、砂、石などもすべて熊野から運ばれて造られたとあります。

京都にはもう一つ、東大路丸太町の地にも熊野神社というのがあります。
法皇が勧請した熊野若王子神社、 新熊野神社とともに京都の熊野三山として、崇敬を集めています。

(いろんなブログやホームページで上皇法皇と言葉に区別があります。上皇天皇皇位譲られた身分の方です。法皇上皇が出家されて仏門に入られた場合に使われる言葉です。ですから、法皇は衣をまとわれています)

この神社、今でこそそれほど大きくはありませんが、大変由諸があります。
本来、こんなに気軽これるような神社ではありません。
別項目(下)にして紹介したいです。

今日は大楠の話です。
天を見上げても、時に雨が降っても濡れないほどの大きな大木です。
日立のテレビのCMに出てくる木には敵いませんが、びっくりするほどの大木です。
遠くからでもはっきりと分かります。

今熊野は、少し前なら今熊野商店街の賑わいもありましたが、日曜となればシャッターの閉まった店がほとんどです。
どこの商店街も同じです。
それが時代の流れかもしれません。

この東大路の前を昔市電が通っていたと聞きます。
私が京都に来たときにはもちろんありませんでしたが、一部大津に向かい京阪電車路面電車が面影を残していました。

すぐ近くに日赤病院があります。
多くの方が病気平癒のお参りに訪れられたことでしょう。
この木に見ると、京都の町の変わり行く変遷をこの地に立って見続けていたかと思うと感慨ひとしおです。

応仁の乱も、幕末の動乱も見ていましたね。
それでもこの地にずっとある。
何を思い何を考えて来られたのか、この凡夫には計り知れません。

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この地によく足を運びます。
何もないですが、この境内に腰掛、この大樟をじっと見上げる。
心がゆっくりします。癒されます。
マイ癒しポイントです。

もう少し先のこのですが、この地の上にJR東大路駅が新設される予定です。
そのときは、この地に足を運ばれる方も増えると思います。

この神社を下るとすぐに東福寺につながります。
これからも、この地に立って遷り行く京都の町を眺めていかれるのかと思います。

なかなか神社の紹介はあっても、大楠メインの紹介はほとんどないですからね。
この大楠、いや大樟大権現様にも私のご縁があった事を感謝したいです。

ずっと変わらない癒しポイントであって欲しいです。
ありがとさんです。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。