''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

江戸時代に生きる 白石一郎編

白石一郎氏(1931-2004)と言えば、私の中では池波正太郎氏に次ぐ愛読する作家さんです。
ともに時代小説の絶妙の世界がそこにはあります。
その中でも江戸時代の小説が一番好きです。

時代の中でもっとも人間らしい庶民が生きた時代でもあり、武士が武士らしくありたいと願った時代でもあったからです。現実と虚像の狭間に人が悩み、生きる。
それが小説の間から垣間見られるところに面白さがあります。

特に『十時半睡事件帖』(とどきはんすいじけんちょう)はその記憶に鮮明に残る小説です。
作者が20年以上かけて書かれた名作です。

何度読み返しても、その驚きは薄れません。
私がよく使う「恒級性」があります。かんとうしょうえの造語です。

時代が変わっても、話は生き残ります。
丁度、忠臣蔵のようなものかもしれません。

たまたま時代が江戸時代であって、現在も同じような人間の心境がよく読み取れます。
時代劇の方がそのエッセンスが詰まったような気がします。

落語の話がそうです。
「さぁさ、こっちは入り」
話はいつの時代も同じです。

時に江戸時代が物事をオブラートに包む効果もあります。

実は白石一郎氏をよく知ったのは、NHKの「金曜時代劇」、この十時半睡事件帖(とどきはんすいじけんちょう)からです。逆に、ここから小説に入りました。

十時半睡事件帖(とどきはんすいじけんちょう)は1994年9月16日から1995年3月17日までNHK総合の「金曜時代劇」で放送されたテレビドラマである。全23回。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』参照)

名優・島田正吾の世界にどっぷり浸かります。
私の中では、小説のイメージとは別です。

でも、見せます。聞かせます。泣かせます。
名優の見せる「間」に引き込まれます。名作の一つだと思っています。

鬼平犯科帳』にも老いた盗賊のお頭「蓑火の喜之助」として登場されています。
この時の台詞、名優の絶芸を感じましたね。
心に残る作品です。別の項目で紹介します。

老人を主役にした小説は、なかなかないですね。
それも剣の達人でもなければ、斬り合いの俗にいうチャンバラのシーンは、ほとんどありません。
小説やドラマの見ている間はどっぷりと江戸時代に浸かります。

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その白石一郎氏が小説でなく、エッセイ的な作品集があります。
『江戸人物伝』(文春文庫)です。
歴史読本』や『歴史と旅』の記事を集めたものです。

なかなか面白いですね。
小説とは別の観点から江戸時代に生きた人物をとらえています。
表紙になっているのは宮本武蔵です。
この人物も有名ですが、よく分かっていないところも多いです。

生まれは播州です。これは私とも同じです。
その場所には、巨大な石のモニュメントが立っています。
民家の中に突然現れます。

これにも異説があるようですが、育ちは、作州です。
とりあえず、この辺に落ち着いているようです。

宮本武蔵といえば、佐々木小次郎との厳流島の決闘が有名です。
白石氏は、両方の立場からそれぞれ歴史をとらえようとされています。

多面的な洞察というのでしょうか?
一方に加担しない。
どちらも正義であるとも言われていないです。

宮本武蔵については、多くの疑問があります。
晩年、禅の立場と剣の立場をもとに、「剣禅一如」という心境に到達されたようです。
剣豪としてのそれまでの立場と晩年の立場とのギャップを感じることが多いです。

すべてが否定的に感じます。
厳流島の戦いも異説がありすぎてよく分かりません。
資料が多いと真実は見えて来ないですね。

禅と剣は、相容れるものなのでしょうか?
精神世界としては、相互の関係も分かるような気もします。
しかし、本質的に特別な世界ではないとおもいます。

漁師が釣りをしていても、禅の心境に得るものがあると思います。
物を作る職人ついても同じです。
同じ繰り返しの中で、同じ物は作れません。一期一会の精神ですね。
生涯に満足できるものは数点しかないはずです。

ですから、一生勉強として生きます。
ゴールがないからです。

武蔵のいう「剣」と「禅」が一致しないものの中に、「尋常」という言葉が見当たらないのが、私の中では不明の原因の一つです。

することが変わっています。
生涯風呂にも入らず、行動も奇才なものが多いです。

強いというだけの延長線上には、禅の心境はないように感じます。
弱いを知って、初めて強いを知る。
剣の達人、勝負の達人が「禅」の達人ではないように感じます。
しっくり来ないと思うのは思料の浅い凡夫の性でしょうかね。

日々の生活の中にこそ、禅の種が落ちているように思えます。

今一度、私の生きる上でのテーマでもあります。
達人の意味するところは複雑ですから、私が意味を取り違えている可能性もあります。

今日の生活の上に、明日の生活があります。
今日を精一杯生きても生きないでも明日は来ます。
でも、本当の意味での日々の積み重ねではありません。

感謝という秘薬がここに役立ちます。
ありがたいと思える気持ちが自分を成長させるように思えます。

最後まで長々お付き合い下さいまして、こころよりお礼申し上げます。