''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

紫陽花の花が咲いています。

今年は、空梅雨かと思わせながら、やはり梅雨の季節です。
昨夜も今日とでは激しい豪雨が一時ありました。
一部の極地的な雨です。
遠くでは雷の音と稲妻の存在を確認出来ました。

梅雨と言うとしとしとと降る長雨のイメージです。
最近の雨は、集中豪雨といった激しい雨に驚かされます。

天候とは別に花は咲いています。
特に紫陽花の花が見ごろです。
日常の生活の中でも、あちらこちらに紫陽花の花が咲いています。

このブログでも紫陽花の花の色が、赤みの紫色や青みの紫色の違いも述べました。
ふと目を凝らすと、コバルトブルーを思わせるような真っ青は紫陽花です。
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日常で写真を撮ります。
きれいに咲いていると感じます。

花は誰のために咲いているものではありません。
このブログでも、「百花誰がためにか開かん」とする禅語の喩えもあることを紹介しました。
誰かに「きれいね」と褒めてもらいたくて咲いているわけではないです。

花が花として生きている、それを人がきれいとかそうでないとか言っているだけです。
しかし、そう分かっていながら、この紫陽花の花は何かを伝えているかのようです。
じっと心を引き込まれます。

何という色でしょう。
赤みのかかった紫陽花の花の中で、この枝ぶりだけが真っ青です。

じっと花を見ます。
生命の営みを感じます。
花は生きています。

勝手に生きてはいません。
誰が手入れをされています。
それがあって初めて本来の美しさを出し切っています。
本質的な花の美しさとそれを生かせている人の努力がより一層の美しさをアップさせています。

人も花と同じかもしれません。
自分のためだけに生きるようで、そうではありません。
周りの人に助けられています。
一人では生きては行けないですね。

この花のように誰か保護の下、生かされていると実感します。
光を与え、水を与え、「偶然の偶然」の妙がここにあります。

この花をじっと眺めるといろんな事が頭に浮かびます。
物言わぬ教師かもしれません。
花を見て、月を見て、そこから学ぶこともあります。

心のバッテリーもビンビンです。(偉大なアーティストにも感謝です)
一種、何とも的を得た表現です。
心が自分のバッテリーの容量を超えて充電された気持ちです。

暫しの心の充電が出来ました。

日常の中に、心の平静も安らぎも見つける事が出来ます。
花を見て、月を見て心穏やかに過ごせそうです。
ありがたいと感謝のメガネを付けて見るともっときれいに見えますよ。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。