''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

芙蓉の花が咲いています。

梅小路の公園に花が咲いています。
新しいSLがもうすぐ動くようです。
先日新聞に書いてあったのを見ました。

でも、音がすごいです。
遠くからでもその汽笛は聞こえます。
煙もすごいですね。

少しの距離を子供さんを乗せて往復します。
その存在感は圧巻です。
こんなものが至るところで走っていたのかと思うと、感慨深いですね。
情緒があります。
イメージ 1

先日のモミジアオイと同じ所に咲いています。
アメリカフヨウです。
漢字で書くと、芙蓉ですね。

ちょっと高級な祇園のお店のような感じです。
着物を着たママがお出迎えしてくれそうです。

確かに芙蓉は品のある花です。
外国から来たようなイメージです。
ちょうど蘭の花のイメージと重なります。

しばし、芙蓉の花を見て心バッテリーはビンビン充電されます。(偉大なアーティストに敬意)
本当に品のあるきれいな花です。

もともと芙蓉は日本の花として馴染まれています。
徳川の時代、江戸城にも、「芙蓉の間(ふようのま)」という部屋があります。
重役級の旗者が詰める部屋です。
大目付や奉行職が控える執務室です。

この他、菊の間とか、柳の間、桔梗の間、躑躅の間とか植物名前が使われています。
基本、大部屋です。個室ではありません。

老中などの最高責任者は、溜りの間詰めです。
譜代が詰める帝鑑間というのもあります。 
家柄・格式などに寄って控える部屋が細かく決まっています。

大身の無役の者が詰める間もあります。
いっそうのこと、この間を芙蓉(不要)の間とか、洋梨(用無し)の間とかにすれば、分かり易かったのではないかと思います。ちょっと言い過ぎですね。

メッセンジャーの黒田さんは、会社から洋ナシを送られたことがあるとテレビとかでネタにしています。
やっぱり洋ナシと用なしとのシャレですかね。
洋ナシも甘露のうまみです。

例え名前は、フヨウであっても、必要です。
私の心を癒してくれます。
心配は不要と労わってくれています。

名前の妙はありますね。
言い得て、名は体を現すこともあります。また、そうでないこともあります。
名前は変わっていても、認識されるとそれが標準になります。
その人の努力でいくらでも大きく出来ます。

ちょうど、落語家のようですね。
小さい名前でも、本人によって、大看板にもなります。
郷里播州出身、名人桂米朝がその最たる例です。

確かに現在の米朝は、三代目とはいうものの、本来「米朝」は、前座名です。
名跡桂米團治を継ぐための段階での名前が「米朝」です。

名人米朝の落語にかけた信念で今や前座名のまま、大看板になりました。
「百年目」や「天狗裁き」もぐっと話に引き込まれます。

芙蓉の花の清楚で可憐で品の良さに引き込まれます。
誰にも誉めてもらなくても、誰も見ていなくてもサボったりしません。

花として凛として胸を張って咲いています。
そんな姿に勇気と元気と癒しをもらいます。

もう少し頑張らねばと思うばかりです。
ありがたいと素直に思える自分を花でリセットです。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。