''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

他人丼をのぞいてみたら・・・

遅いめの昼ごはんは、もっぱらコンビニ弁当が多いですね。
その中でも多いものに丼やご飯ものがあります。

最近はおかずの入った弁当はなるべく買わないようにしています。
それはどうしても揚げ物が入っているからです。
カロリーも800kcalは超えます。

揚げ物だけらけの弁当では、1000kcalを超えるものもあります。
ご飯ものや丼ものなら、カロリーが低いめです。
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先日、食べた他人丼は502kcalとカロリーも抑え気味で、お値段も370円とリーズナブルですね。
あとヨーグルト付けてもワンコインで抑えられます。

丼ものは、ご飯に出汁が吸い取られてまずいと思いきや最近のは違います。
ご飯の上にシートがかけられています。
そのシートに、今回なら他人丼の具が乗っています。

じゃー汁気の出汁は、どうなっているのかと言うと、ゼリー状になっています。
レンジで加熱すると、このゼリーが出汁となって、ご飯と具材を絡めると言う仕組みです。

なかなか良く考えられています。
ご飯も硬い目に炊かれたものを使用されています。

今回の他人丼、「ふわとろ他人丼」とネーミングされています。
玉子とご飯と出汁の加減がいいですね。
肉の絡みもいいですね。

個人的には、味付けもう少しだけ当り強くてもいいですね。
万人向けですから、こんなものだと思います。

そんなときは、一味か七味を振って加減を付けます。
全体的には、なかなかですね。

欲を言うとレンジで加熱すると牛肉が硬くなりますね。
レンジ表示の時間を少なくするといい加減になるように思います。

コンビニ丼としては良く出来ています。
昼ごはんなら十分の量と味です。
「美味しくいただきました」

他人丼、親子丼といいネーミングがいいですね。
他人丼も親子丼があっての初めて存在する対(つい)です。

禅の言葉、禅語にも対の言葉は多いです。
私の好きな禅語に
「雲は天にあり。水は瓶(へい)にあり」
と言うのがあります。

薬山惟儼禅師(やくさん・いげん、七四五~八二八)という有名な禅のお坊さんがおいででした。
湖南省にある薬山という所に住まれておりましたので薬山と呼ばれておりました。

薬山は、別名芍薬(しゃくやく)山とも呼ばれる山で、山中に芍薬が多ったことに名前の由来があります。
立てば芍薬座れば牡丹・・・の芍薬ですね。

時の太守(知事)が薬山に会いにやって来ます。
しかし、顔を見ることなく修行をされています。
太守が薬山に尋ねます。
「如何なるかこれ道」

禅ではよく聞かれるフレーズです。
意訳すると「仏の道とは如何なるものでしょうか?」と言うものでしょうかね。

黙って指を上に指して、水瓶(みずがめ)を持ち上げられました。
その時、こう言われました。
「雲は天にあり。水は瓶(へい)にあり」

さすが高官の太守ともなれば、意味がすぐさま理解されるようです。
雲は天にあっても、水は水瓶にある。
つまり、そのもの場所はおのおの決まっている。
人も同じであり、太守は太守のすべきことがあり、庶民は庶民のすべきことがある。

物には物の、人には人の以って生まれた定めがある。
その定めを精一杯なすだけであり、それが目的地なる長安への道に通じていると言われたのではないかと勝手な私的な解釈です。

この話、白楽天と鳥彙(ちょうか)和尚の話と似ていますね。

今すべきことをなす。
今日の一歩は明日への一歩であり、その終着点が長安(仏法の悟り)ということでしょうね。

特別に楽な道はありません。
近道も確実な道もありません。
人それぞれ自分にしかない道を進むだけです。

あくまでも、他人丼は親子丼があって初めて意味が通じます。
人も社会ではパーツです。歯車です。
でも必ず必要な歯車です。不要の部品は本来ないはずです。

必要とされているから、生かされていると信じています。
生きているわけでなく、生かされています。

ですから、そこには感謝の気持ちが必要不可欠です。
真摯に受けて止めて生きる必要があります。
生きるは生活することです。

でしたら同じ事柄も、良い風にとらえる必要があります。
すこし観方を変えるだけで「ささやかな幸せ」に感じます。

誰かと比べて、何かと比べてと、対(つい)は必要ありません。
しかし、対があって初めて意味が理解できることも多いです。

私には「ありがとさん」と「感謝」は、対極でなく一対の幸せのキーかもしれません。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。
暑さ厳しい折、ご自愛ください。