''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「京のぶぶ漬け」食らってみたら。

落語に「京のぶぶ漬け」という噺があります。
上方落語ですね。
地域限定の噺になります。

 

京都の周辺の上方(関西)では結構面白く感じます。
しかし、東(関東)やその他の地域では現実感が薄い噺ですが、こちらも有名な噺のようです。

 

落語の噺では、商用で大阪の人が帰る間際に京都の商人に「まあ、ぶぶ漬け(御茶漬け)なと一杯」と」勧められる。あくまでも言葉の上での話です。儀礼の言葉です。

 

それを一度、京のふぶ漬けを食べるためだけに、やってくるという暇人の話です。
どんなモノだろうと思いをめぐらします。
ぶぶ漬けとは、もちろんお茶漬けです。

 

これと言って変哲もあろうはずがありません。
用もないのにのらりくらりと時間を過ごす。
京の商人のおかみさんも、帰って欲しいと言葉の探りあい、何となしに帰る節に持っていけた。

 

このときに、禁断の
「まあ、ぶぶ漬けでも食べていっておくれやす」と
待ちかねた大阪の商人です。
この言葉をずっと待っていました。

 

「じゃ、お言葉に甘えて」となります。
分かっていながら策に落ちたとなります。
いやいや、有り合わせのふぶ漬け(お茶漬け)を出します。

 

一膳めしは、すぐに終わります。
「おかわりでも」と勧めると思いきや、気づかぬふりをするおかみさんです。
挙句に、大阪商人が、必殺の技に出ます。

 

空の茶碗を突き出して、「この茶碗」と茶碗を褒め出す。
どこで買い求めたのかと、茶碗の底を見せたままです。
おかみさんの方が一つ上手(うわて)です。

 

「ええ、このお櫃(おひつ)と一緒に、そこの荒物屋で・・・」と空のお櫃(ひつ)を、大阪商人に底を見せての攻撃です。
これが確かサゲでしたっけね。
♪チャンリン チャンリン デンデン・・・。

 

たかがお茶漬け、されどお茶漬けです。
かの美食家、北大路魯山人魯山人味道』の中で、お茶漬けについてかなりのページを割いています。それだけ美食家も虜(とりこ)に要素があります。

 

梅、漬物、塩こぶ、塩鮭と無限の組み合わせです。
これほどの日本人の口に合うものはないのかも知れません。

 

江戸時代、江戸を中心とした関東では、朝にご飯を炊いて、昼は冷ごはん、夜はお茶漬けを食していたと聞きます。
上方では、昼にご飯を炊いて、夜に冷ごはんか(もちろん茶漬けも)、朝に粥(かゆ)にして食していたとも聞きます。
ですから、関西人はお粥(かゆ)も好きなんですね。

 

池波正太郎鬼平こと長谷川平蔵も、父の京都西町奉行の任務に同行して京都で暮らしています。
そのため、池波正太郎氏は、長谷川平蔵を粥好きにしていますね。
池波正太郎氏自身が、粥好きであった事にも由来しますね。

 

とりあえず、お茶漬けの奥はそこはかとなく深いと言えます。
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それが、インスタントで出ています。
野沢菜茶づけ」です。
永谷園から出ています。

 

どんな風になっているのかというと、小さいレンジ用のご飯が付いています。
これをレンジで1分加熱します。
付属のお茶漬けの素が入っているので、カップにご飯、お茶漬けの素と沸かしたお湯と一緒に入れると出来上がりです。

 

ふぶあられと野沢菜らしきもの海苔などが入っています。
至って、普通のお茶漬けです。
なかなかです。
これも私の得意な百均で購入です。

 

これだけでは寂しいので、きゅうりの浅漬けモドキを添えました。
ちょっと、もの寂しい昼餉です。
風流です。そう思って頂きます。

 

便利な世の中になりました。
しかしながら、私はどちらかというとお茶漬けよりは、湯漬けの方が好きですね。
私のブログでも紹介した事があります。

 

私は、湯漬け派なんです。
ご飯にお湯をかけて、漬物とか塩鮭と昆布とかを入れる方が、ご飯の甘みというか米粒の旨みが感じられます。(通ぶったことを言います)

 

お茶はお茶として頂きます。
お茶の香りと味にご飯の風味が負けてしまいます。
そんな気になっているのです。

 

お茶漬けも美味しいです。
ほうじ茶でもいいし、玉露でも美味い。
でも、別々に食べたい変わり者です。

 

どちらにしても、米の旨みに日本に生まれたことにありがたいと感謝です。
こんな質素なものがこれほど美味いなんて、それでもありがたいと実感です。

 

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。