''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

次は、丹波橋。

電車の車窓から見える風景はいいものです。
京都と大阪を結ぶ電車に京阪電車というのかあります。
私の場合、大阪に行くには京阪電車を利用することが多いです。

京阪電車の車掌さんは、皆さん変な声で駅名をアナウンスされます。
エレベーターガールのように鼻に抜けるような発声です。
中川家の礼二さんが物まねされていますが、あれ以上に鼻にかけた感じです。

「次は丹波橋丹波橋近鉄線はお乗換えです」
ところがこの特異な発声のため、
「ついわ たんははし。ついわ たんははし」と奇妙に聞こえます。
声に負担のかからないようにするためでしょうが、客としては気持ちがいいものではありません。

ですから、京阪電車の駅名に天満橋という駅があります。
「次は天満橋
これが
「ついわ てんははし。ついわ てんははし」
と聞こえます。

場所がちがうので間違えることはありませんが、聞き取りにくいです。
耳障りにすら感じることもあります。

何とも変てこな電車です。
京阪電車はよくゆれます。

電車はこんなものが普通と思っていたら、たまに地下鉄や阪急電車に乗ると、京阪電車のゆれはすごいですね。
時々気分が悪くなることすらあります。

そんなとき車窓を眺めます。
街中をずっと走っていますが、八幡と淀の間は田園風景が続きます。

ぐるっと回り込んだ感じで車両の最後尾が見えます。
銀河鉄道のさまのようです。
なんとも情緒があります。
イメージ 1

運転席に座った気分で電車に乗るといろんな妄想が浮かびます。
でも、それ以上に多くの人が乗られていると思うと、責任の重さを痛感させられます。

一人一人の人生を乗せています。
未来も乗せています。
電車の枕木のように人のつながりもそこにあります。
子から孫へ、その孫へ、と人の流れがあります。

その道筋もかかっています。
たった一人の人生だけではありません。
まだ見えない無限の道筋がそこにはあります。

歴史も変わるかもしれません。
それだけの重さがそこにはあります。
この席に座るということはそういうことです。

事故がないのが普通です。
その普通は、偶然の上にあります。
一つコマが狂えば、一大事です。

電車にしても飛行機にしても、いえいえ自動車やバイクも然りです。
乗せている重さが違えども、未来を乗せて走っていることは同じです。

世間では、いろんな事故が起こります。
起こるべくして起きた事故もあれば、未然に防げる事故もあったように思えます。
それも、運と言えばそれまでです。
しかし、運不運も左右することはあります。

家に帰るまでが遠足と小学校の先生がよく言われていました。
家に帰るのまでが遠足です。

しかし、家に着いたら無事に着けたことに感謝が必要です。
一日無事に過ごせたことに感謝です。
ありがたいとささやかな幸せです。

無事に帰れるのは当然なんて考えてると、不埒なことです。
何もない無事こそ、幸せです。
出て行くときも、無事帰ってこれますようにと思いをかける。
家族には、「いってらっしゃい(無事に帰って来ますように)」と声がけです。

私は16歳のとき事故にありました。
いつも私が出て行くときに、母が声がけするのに、その日に限って声がけがなかったと、事故と結び付けていました。

それから3ヶ月間、一度も家には帰って来れませんでした。
半年後の退院です。
家に帰って来れるはありがたいです。
骨身のしみこんだ「ただいま」でした。

当然ということはないです。
家に帰ってくるのも無事がついて初めてありがたいです。
ささやかなことながら、幸せの目線下げると、もっと幸せを感じます。
ありがたいことです。

幸せを感じるとは、相対的な物事だと思えます。
ささやかなことに「よかった」探しは、今からでも出来ますよ。
そう感じられたことに、ありがとさんです。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。