''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

黄色い花が咲いています。

いつものように近所を散歩です。
きれいに鉢植を植えておられるお宅の玄関先です。
道路そばの階段に花が咲いています。
私は花の名前を知りません。
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この年になってこの花なんていう名前かなぁと思うことがあります。
それ以上にきれいと思う心があります。
名前は知らないけれど癒されます。

今年の6月28日に紹介した「ノウゼンカズラ」にもハイビスカスにも似ています。
鮮やかな黄色です。

道端にしゃがみ込んで写真撮っています。
凛としてそれでいて周りと調和がとれています。
前には先日紹介したピンクの花が咲いています。
このお宅はいつも花が絶えません。

花のある生活は豊かです。
心も豊かです。
高校2年生のとき、いつも教室に花が生けてありました。
不思議でした。

あるとき同級生の女の子が、自分の小遣いで花を買って来ていたのを知りました。
仲良しの女の子です。
いえ、そのことがあって以来仲良くなったのかもしれません。
淡い思い出です。

京都にも遊びに来たこともあります。
30歳過ぎまで学生時代と同じ電話番号を使っていましたので、電話ももらっていたりしました。
もちろん、彼女は既婚です。
今では電話番号が変わったので、連絡はありませんが、奇妙なご縁です。

彼女は看護師さんです。
私の伯父が入院していた病院の、それも伯父の担当者です。
そのまま他界しましたが、後から聞いてびっくりです。
数奇なご縁としかいいようがありません。

この花は、そんな彼女のイメージと被ります。
自分がしっかりある。
そんな花のような人でしたね。
今でも花を絶やさないそんなご家庭のことでしょう。

花のある生活は豊かです。
無駄を排除した茶室にも花はあるのです。

高価な花が花ではありません。
野に咲く花も花です。
きれいかそうでないか、それは人が決めることです。

よくみると雑草でもきれいに咲いています。
たとえ、アザミであろうと、きれいな花を付けています。
どくだみの白い花も匂いは別にしてきれいです。

よく見ることの大事を知ります。
目線を下げて見える世界があります。
時に子供の目線まで下げると子供の頃の気持ちに帰ります。

毎日の中で花は、その姿を変えます。
次々に四季の移ろいの中で花が自分の番を待っています。
そんなときどんな花でも盛りはきれいです。

きっと人も同じです。
がんばって生きている姿がすごいです。
人に評価されるされないを気にしません。
やるべきことをなす。

人は見ていません。
サボることも出来ます。
でも私はサボるのが邪魔臭いです。
普通に仕事しながらお茶頂くだけで充分です。

やるべきことがあるのでやるだけです。
今日の一歩も、明日の一歩も、遠い長安に向かっているはずです。
花も誰に恥じることなく咲いています。

私も自然体で生きるたげです。
生きているのでなく、そう何かの力で生かされています。
必要とされるから生かされているのです。
そう感じます。

おのずと「ありがたい」と感謝の念が涌いて来ます。
花を見て、月を見て、ささやかに生かされていることを実感します。

まだまだ、日中の日差しは夏です。
心と体の休息が必要です。
花に癒されます。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。