''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ラベンダーの香りに癒されたいね。

ラベンダーというと、ハーブという言葉がついでます。
ハーブにもいろいろありながら、代表格ですね。

時々行く町の銭湯でも、露天風呂があるところがあります。
逆に露天風呂がない銭湯には行かないくらいです。
その露天風呂にラベンダーのお風呂があることがあります。

週単位でテーマが決まります。
抹茶というのもあります。
かすかに抹茶のような香りがします。
香りといい紫の色合いといい、ラベンダーが最高です。

ラベンダーは、抗菌作用、鎮静作用、食欲増進、不眠症の改善、ストレス解消など、様々な効能を持ったハーブのようです。
語源を調べると、ラテン語の「ラヴァレ」(洗う)という意味からきており、古代ローマ人も入浴の際にラベンダーを使用していた聞きます。

ここ数日痛風の発作に苦しんでいます。
日々痛みも沈静されています。
しかし、一日中休んでいることも出来ないため、仕事場にも行かねばなりません。
さすがに日が変る頃になると足の腫れもパンパンになりますね。

ゆっくりとこのラベンダーの露天風呂にでも入って香りに癒されたいです。
しかし、痛風に特に発作時には熱い風呂は良くないです。
痛みが増すばかりです。

じゃと、ラベンダーの花に癒されたいといつものコーナンです。
コーナンとホームセンターのコーナンですね。
仕事場への道すがらよく立ち寄ります。

DIYだけでなく、花の苗もよく見ます。
知らない花の多いこと多いことです。
イメージ 1

その中にありました。
レースラベンダーです。(一苗198円)
植える場所がないので購入はしませんでした。

でも、色とかすかな香りに癒されます。
青紫の色合いがいいですね。

やはり、この色合いは落ち着きます。
ラベンダーのお風呂も色合いがいいです。

それに温められたお湯で香りは、疲れた体と心を癒します。
鼻腔から脳の奥先に沈静の香りが届きます。
でも少しお預けです。

今はこの花の苗で我慢です。
時に花に癒されます。
物言わぬ友なれど、優しく接してくれます。

時に会話もするんですが、大きな声で会話すると、どこかに連れて行かれます。
(先―生。先―生。かんとうさん、違う発作が・・・・)
発作が起こらないうちに物静かに癒されます。

痛風は、心の病でもあります。
プリン体の多い食事が、水分がということも大切です。
しかし、心のイライラ虫がひとりで動き回ります。
人である以上ストレスはあります。

意味のあること意味のないこと、いろいろあります。
無神経な人の言動に、イライラ虫が発生します。
人は様々です。

決まったことが出来ない方が多いです。
不思議なことです。
秩序を乱すことが好きな方も多いですね。
不思議なことに疑問が沸きます。

人と接するとイライラ虫が動き出します。
かといって山の中に一人で暮らしているわけではありません。
10人10色です。
人により正義は違います。

仕事をかたづけない人は、それが正義です。
決まったことをやらない人は、それが正義です。
「お互い様」が通用しないものしない方にとっては、正義です。
いろいろな方がいるのが世の中です。

それに一々腹を立ててはいけないですね。
そう思っていても腹を立てるのが、凡夫のさがです。
いろいろありますが、因果応報です。
原因と結果は必ず何らかの形で現れます。

「縁」も同じです。
同じ類と「縁」がつながります。
ですから、「縁」は大切です。

今ある腹立ちは、ご「縁」のない方の行動です。
気にしては意味がありません。
そう自分に言い聞かせています。

私は仏教徒ですから、御仏のご縁を頂いています。
そのご縁で、今現在、生かされています。
腹立ちは、そのご縁に外れた方の行動です。

生かされていることに深く感謝を感じます。
日々「感謝」をして生きていくことは尊いことです。
毎日に有益に過ごせます。

怒って過ごしても、笑って過ごしても、同じ一日です。
幸せは目線をさげるといろいろと見つけることが出来ます。

こんなラベンダーの花を見て、幸せと感じられます。
昼餉のカレーうどん食べて、幸せと感じられます。
遅い夕餉の晩酌に、至福の時を感じます。
心地よい眠りに至福を感じます。

「ありがたい」事ばかりです。
元気に生かされてもらっています。
ただし、今は痛風発作です。

それも物の考え方です。
日頃どんなに幸せな時間を過ごさせてもらっているのか、再確認して幸せを感じています。
転んでもタダでは起きません。

こんな幸せを、ご縁のない方はご存知ないのです。
感謝することによって得た幸せを感じることは出来ない人種です。
一生そう感じることがないのかも知れません。
人として生まれながら、それに気付かないで寿命を終えると思うと、同じ人でも大違いです。

宗教の有無は人生のスパイスです。
あってもなくても、人が生命として生きるには、さほどの違いはありません。
しかし、人間として生き方を有益にして頂けます。

難しい宗教論は置いておいて、幸せを身近に感じます。
どんな時でもどんな苦境にあっても、幸せは身近に落ちています。

拾うか、拾わないか、だけです。
見つけられるか、見つけられないか、だけです。

人それぞれに主は違えども、そこに繋がるご縁はあります。
そのご縁にも繋がらなかった人が、それぞれの正義を振りまいています。

審判の日は来ます。
ご縁のあった方は、必ず救いの弁護が入ります。
恥ずべき行動さえしていなければですがね。

救いのない哀れな人の行動に腹を立てまいと思います。
イライラ虫も姿を消しました。
足の痛みも軽くなった気がします。
気持ちだけです。

ありがたいと心静かに過ごせますように祈るばかりです。

最後まで、凡夫の戯言にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。