''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

きばなコスモスが咲いています。

きばなコスモスという黄色い花を見つけました。
コスモスと言えば、やはりあのコスモスですね。

名曲『秋桜』ですね。
♪淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の~

こちらは、きりんのたまごの専門です。
山口百恵さんが、この歌を歌っているときのイメージは特別なものがあります。
それまでの山口百恵さんとは違う世界でした。

この曲を聴いたとき、歌の上手さも、詩の世界も何となく、ビジュアルとして、まるで八ミリビデオでも見ているような情感を感じたのを思い出します。
歌に涙がこぼれそうです。

秋と言えば物悲しいです。
なに故に物悲しいのか分かりません。
人間の情感に、秋の深まりと冬への駆け足、そんなイメージのリンクなのでしょうかね?

それでも野に咲くコスモスは綺麗です。
郷里の播州にも、休墾田にコスモス畑を望むことがあります。

赤に白にと綺麗に咲いています。
秋であることも忘れるくらいに野に咲きます。
そこだけ色のある幻想的な空間です。
足を止め、野に咲くコスモスに心癒されます。
イメージ 1

きばなコスモスは、いつものコーナンの花畑です。
一鉢398円です。
悲しいかな我が家には花壇がありません。

裏のサンルーム(あれがサンルームかよ? いえいえ、物置場です)に置くことになっても、すぐに枯れてしまいそうです。
ここは残念です。

初めて見るコスモスです。
コスモスを秋桜と位置づけたのは、あの偉大な音楽家さだまさし氏です。(momo情報)
偉大な業績ですね。
これで一気に秋にコスモスが、秋の代表格の花にイメージです。
それまでは菊ですね。

子供の頃、枚方パークと言えば、菊人形展です。
大変な手間と技術が必要とされることから、今ではあと数年で100年を前に、継続されていません。
白や黄色の花に彩られた人形です。
日本文化の一端ですね。

菊は日本の花の象徴でもあり、天皇家の紋章でもあります。
高貴なイメージです。

コスモス以前は、秋には菊のイメージが強かったです。
菊は高貴なイメージでも、そこに癒しの要素は少なかったです。

縁側でアルバムを見ているそんな情景が見えます。
先行きの不安も付きまといます。
それでも少し先には、笑って昔話に出来ると勇気付けられます。

どこまで続く道、この道にも限りはある。
背中に見える年月も先に見えます。

見えないものが見えることもあります。
実際に見えるだけでなく、イメージとして見えることもあります。
想像と現実のハザマに彷徨います。

花には、こうしたいろいろな人間の情景を映し出す不思議な力が、あるのかもしれません。
花の香りに思い出す情景もあります。
秋の香りはどんな記憶を思い出させてくれることでしょうね。

子供の頃の思い出です。
人がいます。笑いがあります。
人が集います。美味しい食事があります。
それ以上に、その場の香りや温度を思い出します。

そこには戻りることは出来ない時間です。
それでも、ふと記憶の中で振り返ることができます。
過去と現在、そして未来と繋がっています。

この道を進み続けることに疑問でなく、この道しかないと信じて進むことが必要です。
私には、この執着点が「長安」であればいいと思うのです。

人それぞれ終着点は、違いかもしれません。
それでも歩んで来た道は、定められた道のはずです。
運命という短絡的にものでなく、天から与えれた道であったはすです。
何かの力で生かされています。

安心して進めますよ。
私の場合には、一人で歩いてはいますが、後ろから見守って下さっています。
皆さんも同じはずです。

不安も、つきものです。
疲れたら、迷ったら、花を見て、月を見て、しばし休息することにしましょう。
今日の花にも癒されます。
野に咲く花にも癒されます。

身近に幸せは落ちています。
目線を下げたら、いろいろなものが見えて来ます。
野に幾万の花が咲き、幾億の草木が茂っています。

人であるなら、今あることに真摯に感謝できます。
ありがたいと感じることこそ幸せの最初の一歩です。
コーナンの小さい花畑は、私にとっては、幸せの花畑です。
ありがたいです。

秋の訪れは、気温の変化でもあります。
夏の疲れが出て来ます。
季節の変わり目に体調を崩します。
ご自愛下さい。

最後まで、凡夫の独り言にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。