''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

男の手料理 まずはそばに。

秋を深まりつつ、季節も落ち着いてくると、暑さ寒さを離れ、心地よい空気です。
休みの昼餉、男の手料理と言えば、麺ですね。
それも蕎麦です。

池波正太郎如く、蕎麦には酒が付きます。
「酒を呑まぬくらいなら、蕎麦屋にはいかぬ」と言わしめたその言葉が大好きですね。
蕎麦屋でいっぱいというのも、勿論ありです。

外に行きたくないときもあります。
家でのんびりと過ごしたいと思うのは年のせいでしょうかね。

少し忙しく過ごしていたので、どこかに行かず、家でゴロゴロとしておきたいそんな怠け者の心もあるが人です。
悲しい凡夫の定めです。
そんなときもあります。

それじゃと蕎麦を茹でましょう。
乾麺を硬い目に茹で、自分好みにして頂きます。

そばつゆは市販の頃合のよいものです。
山葵も生でなく、いわゆるチューブものです。
手抜きの技です。
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頑固者は、盛に限るといいます。
刻みの海苔を用意していないので、私も盛に限っています。

蕎麦だけを盛ると見場が悪いので、さっと焙った青とうに山葵を盛ります。
何となく青味で食欲も出ます。

こんな時期、蕎麦には常温の酒の「ひや」です。
燗付けるには少し早いです。
かといって冷酒では、蕎麦の香りも風味が生かされません。
常温の「ひや」です。

蕎麦も氷水でさっと〆たままです。
山葵を蕎麦に少し付けて、そば汁に溶かしたりはしません。

食べる蕎麦の上にちょこっと乗せます。
食べる分だけ、つまんで、そば汁に半分近くつけます。
そば猪口は、あのそば猪口です。

葱も何も入れません。
蕎麦とそば汁だけの勝負です。
極普通の乾麺の蕎麦ですが、何々どうして美味いです。

そばには、ルチンが含まれています。
血液をサラサラさせたり、血圧を下げたりと、血液の流れと大きな関係があります。
大盛の蕎麦あっという間に完食です。

お酒の方がおろそかになってしまいました。
軽く口をつけるぐらいで、昼餉は終了です。

それでも、ほろ酔いで部屋に入ってくる風が心地よいです。
静かな休日、男の手料理で昼餉です。
中々どうして満足しています。

後は、つうらつらと舟を漕ぎながら、夢の彼方に出発です。
心地よさも、幸せもこんな安価で手近に落ちていました。
「ありがたい」です。

釜揚げのうどんもいいし、夏に残ったそうめんも楽しいです。
温めてにゅーめんにしても、味わい深いです。
秋の深まりも、外に行かずに、この浦のとまやでも味わえます。

「見渡せば 花ももみぢも なかりけど 「ひや」と蕎麦との 秋の昼餉か」
・・・by しょうえの定食

もう一つですね。駄作です。

定家卿は、凄いです。
900年ほど前のお方でありなら、現在でも脈々とその存在が生きております。
秋の三作と言えば、まずこれですね。
すぐに思い出せれる秋の和歌です。

もちろん、冷泉家も歌詠みの家として現在も京都御所近くにお屋敷があります。
『明月記』は、定家卿の日記です。
治承4年(1180年)から嘉禎元年(1235年)までの56年間に亘り書かれた日記です。
いい国作ろう鎌倉幕府の1192年より少し前です。

今で言うと、ブログでもありますね。
もちろん、他人には見せないのでしょうが、後世に残すつもりはあったと思います。
当時の公家の日記は、公事故実や家職家学の知識を子孫に伝えることを作成目的の一つに書かれていたとも記載されています。(『ウィキペディアWikipedia)』参照)

50年以上の古い日記をとっておいたのでしょうからね。
和歌のことも歴史の証言も克明に書かれていると聞きます。
解説書は見たこともあります。
解説書がないとさっぱり分かりません。

月を見て、和歌を詠み、月の明かりで和歌を書く。
風情ですね。
月を見て癒されます。
こんな日は月見酒といきたいですね。

古人(いにしえびと)を思い、同じ月を見て、和歌に思いを馳せる。
ロマンがあります。
月を見て、新しい創造が生まれます。

穏やかな一日を過ごせたことに感謝です。
ありがとさんです。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。