''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

嵯峨菊と雅な香り

秋の深まりを感じます。
昨日より、今日の方が秋が一皮深くなった気がします。
今日も朝方肌寒さに目が覚めました。
油断するとすぐに風邪をひきいてしまいそうです。

仕事場への行く途中、コーナンの花畑に立ち寄りました。
違う目的で行ったのですが、どうも花が気になります。
どんな花が出迎えてくれるのか楽しみです。

秋の深まりとともに菊の花の種類が増えています。
一番最初に目に付いたのは、「嵯峨菊」です。
黄色い花に誘われます。
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黄色は幸福の花、そんな映画の刷り込みです。
勝手なイメージながら、高倉健さんの世界です。
武田鉄也氏の顔も浮かびます。それに時代を感じるファミリアのイメージです。

それ以上に嵯峨とやはり嵐山の嵯峨でしょうね。
花の名前、特に菊の名前は、京都によく合います。
雅なイメージですね。
そこはかとなく、自己主張せずにいて、自己の存在が絶えずある。
そんな印象です。

すこしとがったような菊ですね。
嵯峨というと嵯峨美子さんを思い出します。
嵯峨さんというと映画『火宅の人』(原作壇一雄 監督深作欣二  1986年 東映)の主題歌ですね。
撮影は木村大作氏です。きれいな迫力のある映像です。
その映像に歌声が載ります。

家庭を振り返らずに、家を出てしまう勝手な男の物語です。
原作者壇一雄は、女優壇ふみさんのお父さんでもありますね。
壇一雄氏は、この作品に14年もの歳月をかけて執筆です。

男女のどろどろの話ですね。
人の苦悩とそれぞれの人生、生きることの意味を問いたくなります。
「火宅」とは仏教説話の用語で、「燃盛る家のように苦悩に包まれた所」の意味と記されています。(『ウィキペディアWikipedia)』)

こんなの見てしまうと、ごく普通の生活のありがたみがよく分かります。
女性に泣かされることはあっては、泣かすことには縁遠いですからね。
その複雑な情景を、嵯峨美子さんの歌は、切なく物悲しく力強く「愛」を語ります。
こんな愛もあるものかと、不思議な感情です。

エンディングに緒方拳扮する桂一雄と子供らを背負い、キムチを漬けるようの白菜を両手に持って走る姿が何とも印象に残ります。
それをバックに嵯峨さんの歌です。
涙しますね。

何なんでしょうね。
人の生きる意味とは、苦悩と生きるととは、理解できない人の営みです。
映画の話ですから、まだしも、これが現実の話となりば、考えるだけでも怖いですね。

何もない極普通に暮らせることにありがたいと感じるばかりです。
でも、そこにある人間の愛や情は、いろいろと感じますね。
人の生きる意味でしょうかね。

人は生きるといろいろあります。
物悲しい秋がいろいろと人間の生き方を自問自答する哲学的な思考を深めます。

今日も平凡に健康で一日が過ごせるように祈るばかりです。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。