豆腐は、この年になるとありがたいですね。
子供の時は、それほど好きではなく、嫌いでもない食材でした。
子供の時は、それほど好きではなく、嫌いでもない食材でした。
味噌汁には豆腐とわかめ、これに青ねぎをたっぷりとのせたものが、日常の定番でした。
季節には、山菜採りに行ったときは、市場に並ばない「はったけ」などの澄し汁が食膳に上ります。
季節には、山菜採りに行ったときは、市場に並ばない「はったけ」などの澄し汁が食膳に上ります。
きのこは、味噌汁にしてもうまいですね。
切干し大根を戻したものを味噌汁の具にしても、うまいです。
切干し大根を戻したものを味噌汁の具にしても、うまいです。
日本の食文化にも大きく貢献されたお店だとも言えます。
東京赤坂にもお店があるように聞いています。
東京赤坂にもお店があるように聞いています。
順番を決めるのでなく、特定の人が作られていました。
ルールがあります。
ルールがあります。
毎日、違った具材の味噌汁にすることだったと記憶しています。
365日、違った味噌汁にすることの難しさは、試練です。
並大抵の試練ではありません。
365日、違った味噌汁にすることの難しさは、試練です。
並大抵の試練ではありません。
もちろん、料理人の腕を上げるには持って来いですが、苦労も考えると眠れない日も続いたと思います。
味噌汁に、豆腐、わかめ、なめこ、しめじ、揚げ、ホウレン草、小松菜、鮭、、これで1週間と少しです。
味噌汁に、豆腐、わかめ、なめこ、しめじ、揚げ、ホウレン草、小松菜、鮭、、これで1週間と少しです。
あと357回残っています。
試練です。
試練です。
「辻留」の当時のご主人辻嘉一氏(つじ かいち、1907年1月2日 - 1988年11月17日)の書かれた古い書物『茶事懐石 二ヵ年』(淡交社)を何度か読む機会がありました。
まだ最近の写真いりでない、日記スタイルの本です。
写真入りの立派な本も、四季を彩り、日本料理のすばらしさを余すところ表現されています。
まだ最近の写真いりでない、日記スタイルの本です。
写真入りの立派な本も、四季を彩り、日本料理のすばらしさを余すところ表現されています。
辻留の料理は、うまい・まずいという表現ではない、芸術・思想すら感じる料理です。
自然とともに今ある。
食と生きると宇宙感とも言えるスケールの大きさが垣間見れる気分です。
自然とともに今ある。
食と生きると宇宙感とも言えるスケールの大きさが垣間見れる気分です。
精神の支柱があればこそ、日本料理の極みに達したのではないかと思います。
まだご相伴に預かれる機会は得ていません。
まだご相伴に預かれる機会は得ていません。
京都の料理と言うと、華やかで繊細なイメージですが、実は質素を旨としていると思います。
関西ですから、始末を旨とするには当然です。
関西ですから、始末を旨とするには当然です。
庶民の豆腐のイメージですが、やんごとなき方々の食膳にも上っていました。
宮中では、「白壁」とか「おかべ」と呼ばれていたようです。
確かに色・形からなら、そうですね。
宮中では、「白壁」とか「おかべ」と呼ばれていたようです。
確かに色・形からなら、そうですね。
「御御御付け」、これがなかなか読めないです。
おみおつけです。味噌汁ですね。
これも同じ宮中の女房詞とも聞きます。
確かに普通の人じゃ、これだけ「御」は付けないです。
おみおつけです。味噌汁ですね。
これも同じ宮中の女房詞とも聞きます。
確かに普通の人じゃ、これだけ「御」は付けないです。
豆腐も何かにつけてもう一品と言うときには、ありがたいです。
でも、私には、何かのついで、副菜として豆腐でなく、メインディッシュとして豆腐の存在もあります。
でも、私には、何かのついで、副菜として豆腐でなく、メインディッシュとして豆腐の存在もあります。
豆腐も縦長に切って上に乗せました。
花カツオを乗せると、それらしいなりますね。
花カツオを乗せると、それらしいなりますね。
豆腐でもいいですなく、豆腐がいいと言いたいです。
寒くなれば、湯豆腐や温奴(おんやっこ)です。
寒くなれば、湯豆腐や温奴(おんやっこ)です。
これにはやっぱり日本酒のお出迎えですね。
日本に生まれて感謝です。
四季のある国に生まれて良かったです。
日本に生まれて感謝です。
四季のある国に生まれて良かったです。
ささやかながら、ありがたいと感謝の気持ちでいっぱいです。
安くて満足できる人間です。
それがうまいと感じられる幸せもありますよ。
安くて満足できる人間です。
それがうまいと感じられる幸せもありますよ。
最後まで、豆腐話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。