''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

風車菊から見える世界。『フランダースの犬』より

風車菊、何とも愛らしい元気なかわいい花ですね。
菊と言ってもいろいろとあります。
名前もそれぞれについています。
それでも、この風車菊は愛らしいです。

小さいつぼみながら、生き生きとしています。
花を見て気持ちも充電されて行きます。

花に癒される。
そんな気持ちが、よく分かります。
いつものコーナン花畑です。
イメージ 1

特に目が行きましたね。
一鉢980円です。
なかなかです。

風車と言えばオランダですかね。
花の国のイメージもあります。
風車が回る。その前をチューリップが赤・黄・白と色とりどりに咲き乱れるイメージです。

私にはオランダという、やはり、アニメ『フランダースの犬』のイメージがあります。
少年ネロとその愛犬パトラッシュが泣かせます。
風車小屋の火事の責任を問われて、村を出て行きます。
もちろん、無実です。

その前に行われた絵画コンクールで入賞できなかったことのショックも大きいです。
ネロは絵が上手です。
絵描きになりたいと願っていました。
ささやかな夢です。

アントワープの町まで牛乳を運んで生計を立てていました。
すこし前に最愛の祖父もなくします。

その中で、自分を奮い立てて、コンクールに出品します。
最後まで、選考にのこりますが、入賞には至りませんでした。
デザイン画としてしか、審査員はみていません。

ただ一人、ネロの才能を見抜いた人がいました。
この方が、ネロのところに訪ねて来ます。
それも後の祭りです。

ネロは、消息を消します。
家賃が払えないと追い出されたのです。
火事の責任といっしょにされたのです。

行くところがありません。
アントワープの町に足がおのずと運びます。
パトラッシュも、ネロを追いかけて行きます。

アントワープの町に来たのは、教会にあるルーベンスの絵に引き寄せられたのかしれません。
見たくて見たくて熱望したルーベンスの絵画は、いつもは有料です。
しかし、疲れ切って教会に到着した時には、いつも絵画かかっている幕が開かれていました。

初めてルーベンスの絵を見ます。
満足そうな、ネロの表情が印象的です。
疲れきったぐったりします。

愛犬パトラッシュが、そこにやってきます。
「パトラッシュ 疲れたよ」
そういって、愛犬により寄って眠ります。

天から、音楽が聞こえ、天使たちがネロとパトラッシュを持ち上げて、天に誘います。
当時の子供心に、これが死であるとこがうっすらと感じました。
天に登るとき、笑顔です。

どこから持ってきたのか、いつも牛乳を運ぶ荷車もいっしょに天に召されます。
とても悲しいお話です。

今から、30数年、正しく35年近く前の話です。
昨日のようにはっきり記憶しています。

再放送もすくなかったですね。
そのときのルーベンスの宗教画、今でも覚えています。

今、この年になって、ネットで調べるとその絵画のことが分かりました。
アニメ「フランダースの犬」で主人公ネロが閲覧を願ってやまなかったルーベンスの絵画は、「キリスト昇架」(1610~11年)、「キリスト降架」(1611~14年)の2点です。
(『フランダースの犬』 ウィーダ/作 村岡花子/文 中山正美/絵 偕成社 1973 p49,p115)
(『巨匠の世界 ルーベンス』(C.V.ウェッジウッド/著 タイムライフブックス編集部/編 1973)
『カンヴァス世界の大画家 13 ルーベンス』(井上靖/編 中央公論社 1982)等で確認)
(栃木県立図書館レファレンス事例より)

西洋の宗教画が独特です。
キリスト教の話の一場面が描かれていることが多いです。

私は仏教徒です。
宗派は違えども、人種は違えども、人であることに違いはありません。

キリスト教の天へは、大きなトンネルを登っています。
仏の世界には、特に日本の場合は、川を渡ります。
水の豊富な国の象徴です。
舟に乗って、黄泉の国に誘われます。
何とも風雅な感じです。人生最後の舟旅です。

でも、先急ぎする必要はありません。
自分の天寿を全うしてから、来るところです。
急いでくるところではありません。

ネロは、これが天寿であったと思うと少し悲しいです。
しかし、天に召されました。

仏の世界では、こうした悲しい物語をどう捉えるのか、難しいです。
救いを求めるどころか、仏の世界に誘うことになりますからね。
同じような話も多いです。

でも、苦しんで、黄泉に旅立つのでなく、眠るように苦しむことなく、旅立ったのです。
この世では、幸せでなかったのかというと、そうではなかったはずです。
おじいさん、近所の人、お友達と多く優しい人に出会えました。

そして、最愛パトラッシュと共に天に召されたのです。
つらいこともあったけど、楽しいこともあった、そんな短い人生でした。
幸せな人生であったと思います。

結末して悲劇か、ハッピーエンドか、意見は分かれます。
確かに映画は、結末は2つのパターンがあったはすです。

どちらにしても、幸せとは何であったのか、考えされられます。
今あることに感謝して、今日生かさせもらっていることに感謝を感じる。

今を生きる。今を生かせてもらう。
今ある幸せを、目線を下げて感じる。
それが、ささやかながら感じる幸せです。

風車菊から、そんな優しい風を感じます。
幸せの風ですね。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。