''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

体温計のボタン電池。 命のボタン。

先日、体温計を久しぶりに出しました。
別に風邪をひいて熱が出たわけではありません。
目覚めるとすこし頭が痛いような気がして、もしやと思い出して見ました。
「あれ?」

動かないやと思って、スイッチを入れても動かない。
そう言えば電池交換したことなかったです。
今まで一度もです。

電池切れです。
「電池? 電池?っと」
えー、メガネ? メガネ? 怒るでしかし・・・の横山のやっさんではありません。
イメージ 1

どこに電池があると・・・。
もちろん、精密用のねじ回しで、本体をばらして、電池交換です。
なかなか手間です。
ねじが少しバカになっています。

一度も交換したことがなかったのです。
いつ買ったっけ?
遠い遠い記憶です。

私は、子供頃から少し体温が人様より高いです。
中学生になると、体温は37℃を超えていました。
ごく普通です。

疲れやすいという以外は、これと言って健康です。
しかし、夜にもなると平気で37.2はありましたね。
健康です。
発病しているわけではないです。

19歳ぐらいの時、異常に体温が上がり起き上がれずにぐったりして、その時計った体温は、体温計の上限を超えていました。
ですから、41.5から42℃のの付近ですね。
それ以上計測不可能でしたね。
後にも先にもその時だけです。

運悪く一人暮らしでした。
金曜日の朝でした。
どうしても病院に行かなくてはと、夕刻体温が下がったのか、すこし体を起こせる状態になり、今しかないと病院に向かいました。

受付で、体温計を渡されて、計測すると確か39.9℃でしね。
電子体温計です。その数字をはっきりと覚えています。
血相を変えた看護婦さん(当時)です。

「病人は? どこですか?」
待合室には、私だけです。

「あの、私ですけど」
「えー」

あの驚いた顔は忘れません。
「一人で? 来られたの?」
「えー」

すぐに薬と処置してもらった記憶です。
また、すぐに帰路に着きましたね。

しかし、前日何も食べていなかったです。
近くの定食屋で、うどんを食べたですが、熱があると味がしないんです。
全く味がしません。
味覚までやられたと思いましたね。

それから数日後、水疱瘡による発熱と分かりました。
子供の頃やっていなかったのです。
大人になって、子供の病気すると、ドえらいことになります。

あの川渡りそうでしたね。
かなり、やばかったです。

その一年前にも、体調を崩して病院に行くと、血圧で同じようなアクシデントがあったことがあります。
フラフラとしていました。

熱はありましたが、高熱ではありません。
しかし、フラフラします。
バイクが運転出来にくかったくらいでしたね。

そんなこともあり、その旨を医師に伝えると、まず血圧をはかりましょうと、看護婦さん(当時)に指示されました。
血圧計を計測してくださる看護婦さん(当時)の顔色が変わりましたね。
何度も何度も計られて、あわてています。

「先生!! 先生??」
「血圧は?」
「上が60、下が30!!!」
そんな血圧聞いた事がありません。

血相変える医師と看護婦さん、そして私です。
「えー?」
コントのようでしたね。(チャンチャン)

ふらつく理由は、それでしたね。
1週間の絶対安静でしたね。
原因は、心労と過労のようでしね。

生きていると、とんでもないことが起きます。
気持ちは普通ですが、体が限界を超えていることがあるようです。
でも、私の場合やはり熱には強いようですね。
体温が39℃超えるとさすがに疲労感が強くなります。

兆しがあります。
体調の悪くなる兆しです。
これを逃すと取り返しがとりません。

ですから、少しでもおかしいと思うと体温計を使います。
子供の頃のように、体温は高くなくなりましたが、熱ぽいと感じることはよくあります。
しかし、大抵は気のせいです。
体温計は平常です。

その為、体温計はいくつも持っています。
その内の一本が、電子体温計です。
常時使わないといざという時に使えないですね。

早速、得意の百均にGOです。
LR41という電池です。二つで100です。
いろいろな電池があります。

その為、写真に収めて、間違わないように購入しています。
携帯電話の写真は、大体メモ代わりにすることが多いです。
大変で便利です。

プリンターのインクとか、電車の時刻表とか、ちょっとしたメモに使います。
この写真もそうした一枚です。

いざと言うときに、使えてこその道具です。
改めて、こんな小さいボタン電池に感謝です。
それと同時に健康でいられることに感謝です。

病気に苦しまれている方もおいでです。
健康は、人間に平等だと思います。
人はいつか病気になります。

その状態は別にして、人の苦しみ四苦八苦の四苦に「生老病死」があります。
すべての人間に起こります。
今日元気だからと言って、明日は分かりません。

それが誰にでもあります。
私の例もそうでしたね。
健康であるということは、元気なときは分かりません。
病気になって、初めて分かることです。

それまでが、どれだけ幸せであったか、分かります。
しかし、元気になるとそれを忘れます。
おろかなことです。

病気になって、いろいろと辛いこともあります。
しかし、時間は元気なときのとは、その感じ方が違います。
充実した時間を過ごせているはずです。
一日の時間を、上手に使おうと考えるはずです。

元気なときには、「あー暇・・・」なんて言葉もでますが、病気になればそんなことは思いません。
今のうちにあれとあれをやって、これとこれをやっておかないとと思うはずです。
薬や通院、治療の時間が、優先です。

あとの時間で、自分の生活があります。
制約の多い生活です。
それでも、充実した時間を送られていると思います。

今一度、元気になられたときに、その感覚を忘れないで下さい。
残りの人生が、人様より大変有意義に過ごせるはずです。
辛い思いをした分だけ、人生は豊かになったと思えば、多少の苦労もし甲斐があります。

そう思って、辛い時間を過ごせば、楽になるはすです。
気持ちだけでも、楽になれますよ。
がんばってはいけません。

がんばり過ぎると、気持ちに限界がきます。
がんばり過ぎないことが、病気と上手に付き合う方法です。

花は、きれい咲いています。
しかし、がんばって咲いたりはしていません。
花が、花として生きているだけです。
それだけです。

それを見て、人がきれいというだけです。
どくだみの花もきれいです。
しかし、人はそれを見てきれいと言いません。

そんなことはないです。
目線を下げて純真な気持ちで見ると、独特の匂いはしますが、きれいな花です。
体に良いですよね。どくだみ茶っていうのが、あるくらいですからね。

本来の姿がいきいきとしています。
花も人間も、生きています。
でも、人は天命によって生かされています。

人によって、その天なる主は違っても偉大な主の元に、生かされています。
一人でないと思えるだけで勇気づけられます。

がんばり過ぎないことも大切であると考えます。
仏法では、「喜捨の法」というのがあります。(何度か紹介しています)
機会に触れて語りたいと思います。
今日は、ちょうど時間となりました。(浪曲風に)

今日も、心穏やかに過ごせますように祈ります。
ありがたいと感謝の気持ちを添えて。

最後まで、長文にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。