''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都国立博物館「日蓮と法華の名宝」より。

昨日は、久しぶりに平日の休日となりました。
日頃できない用を済ませようと、朝から右往左往です。

まずは、むさ苦しいので髪を切りに行って、風呂屋でいつもの休日です。
一風呂浴びて、快く過ごせました。
その後、画材印材屋に買い物です。

その折、京都国立博物館で「日蓮と法華の名宝」を開催しているを知りました。
このお店で、前売りも画材印材と一緒に購入です。
そして、このまま国立博物館に直行です。

私として珍しい行動です。
何かをするにも下調べや準備もしてから、この日に行こうと計画を立てます。
自分でもびっくりしています。
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この時、すでに午後3時前です。
画材屋から、スクーターに乗って、約5分で国立博物館に到着です。

平日に来て良かったと思いましたね。
大勢の人が来ることを見越して、待合のテントが用意してありました。
休日は大変込みそうな予感です。

前回のルーブル展を見逃した教訓が生かされています。
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博物館に入って、やはり僧侶の姿があちらこちらに見えます。
大勢の人が、アナウンスの解説機を手に持っておられます。
やはり、宗教としても信仰の対象とてしての日蓮さんです。

私も妙法華経を信じる者としては、日蓮さんの存在は偉大です。
さんづけさせてもらっているのは、信者としてでなく、国立博物館の開催内容に関する紹介を前提にしております。
宗教の対象としての日蓮さんは、別の項目で紹介したいと考えています。

法華経の流れの中で、日蓮さんの存在は大きいです。
しかし、日蓮さんも比叡山の僧侶として過ごされています。
ですから、伝教大師(最澄)、天台大師(智顗(ちぎ))の教えの系譜にあります。

比叡山から、多くの宗派の高祖となる高僧を排出しています。
家の近くから、比叡山も見えます。

今日あるのも、法華経の教えを守った聖人達の遺徳の賜物です。
日蓮さんから、高弟が生まれます。

日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持 日像の7人の高弟です。(敬称略)
私としては、日蓮さんのお弟子の中でも、この7人を菩薩さまとして畏敬しています。

私の住まいする伏見は、日像さんとご縁が深いです。
荼毘所も歩いて行けるところにあります。
この日像さんの遺物も今回の展覧会においても、多く紹介されています。

日像さんが、京都に法華経を広めた方です。
その功績は計り知れません。
法華経の本山も多く存在しています。

日像さん、多くの人を仏の世界に導かれた聖人です。
なかなか、世間の方には馴染みの深い聖人です。

今回の名宝展、サブタイトルは「華ひらく京都町衆文化」です。
意味合いがここで分かりました。
なかなかに仏図や経典、文書といい、難しい展示が続きます。

私の中で、日蓮さんの存在で、幾つかの疑問がありました。

まずは、神さまとの関係です。
触れずに要られない問題です。
ここについても自筆の文章に記述されています。
イザナギイザナミの文字を捉えることが出来ます。
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)の文字も見えます。

難しい問題は置いておいて、相容れる存在です。
仏の世界と神の世界は、存在しています。
吉田神社の吉田兼右書状からも相容れる存在と捉えられているようです。

次に弘法大師空海さんとの関係です。
法華経にあっては、空海さんの存在は、宗教的にその対象として触れられていません。

もちろん、法華経との接点が薄いです。
しかし、私の中では、空海さんの存在は大きいです。
宗教的聖人とさえ感じています。

法華経の中では、最澄さんが大きな存在になります。
空海さんの梵字の知識なくして、現在の宗教は存在し得ないと思っていますからね。

今回、この日蓮さんの展示の中に見つけました。
日蓮さんが、空海さんの書物を手元に置いていたことや、その解説書まで書いておられたことが分かりました。

調べても、はっきりとその存在を肯定する文書を今まで見つけることが出来ませんでした。
今回ははっきりとそこにも触れられています。
(69)「三教指帰注抄 巻上」です。

残念ながら、注釈書としてでなく、当時の絵を落書き風に書かれたものです。
ご本人の筆でしょうかね?
聖人も落書きされるのでしょうか?
そうなら、人間として日蓮さんの存在は親しみやすくなります。

それに日蓮さんというと、やはり(70)国宝「立正安国諭」日蓮筆です。
教科書に載っていたあの文章です。
本物です。

じっくりと見ましたね。
偉大な聖人として畏敬の念を感じます。
難しさのあまり、何が書かれているのか、意味を把握することは出来ません。

今回の展示は、法華経を信じる方にとっては、日蓮さんの自筆が多く見られ、宗教的な価値は計り知れません。
しかし、俗にいうお宝、「国宝」の展示は「立正安国諭」を含めて、3点(前期)です。

その中には、教科書で見たことのある本阿弥光悦の(183)「舟橋蒔絵硯箱」がありました。
中を開けての展示です。

硯に、筆型の筆入れは斬新でしたね。
こんな意匠の硯箱とは思わなかったですね。
本阿弥光悦も熱心な法華教信者です。

後期には、俵屋宗達筆の国宝「蓮池水禽図」も展示されるようですね。
もう一度後期に行っても楽しめます。

法華教三昧の2時間を過ごせました。
ありがたいです。

今あるのも、偉大な聖人に影響されています。
今ここに私があるのもその偉大な聖人の恩恵を受けています。

何かに引き付けられて、急遽京都国立博物館日蓮と法華の名宝」を見る機会を得られたことも、仏縁かも知れません。
機会があれば、宗派を問わず、宗教者としてでなく、偉大な聖人として、ご覧になることをお奨めします。

今日も生かされていると感謝します。
今日も一日平穏に過ごせますように、手をあわせて祈ります。

最後まで、稚拙な解説にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。