''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

石仏に手を合わせて。

昨日は、京都国立博物館の特別展の話をしました。
ぐったりとして館を後にして、すこし疲れました。
心地よい疲れと言えます。

国立博物館のお庭もベンチがあちらこちらに置かれています。
すでに午後5時ともなれば夕刻です。

そんな中、このお庭にもあちこちに展示物の作品が配置されています。
館内に入らないものが多いですね。
五条大橋の石橋とか、お寺の礎石とか、石の展示が多いです。
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その中で、不動明王さんをお見かけしました。
立派な石のお不動さんです。

明王さまには、愛染明王さまと言われる明王さまもおいでです。
今年は、この愛染明王さま注目されましたね。
大河ドラマの「天地人」の直江山城守の「愛」の兜です。
「愛」にはいろいろな意味があります。

それは前に、愛の饅頭とともに紹介しましたね。
でも当時の武人からすると大大名の家老が付ける兜となると、武運を祈っての「愛染明王」さまにあやかってと思いますね。

上杉は毘沙門さまを熱く信心されていましたからね。
旗印も「毘」です。
山城守は「愛」ですね。
やはり、多くの人は「愛染明王」さまをイメージするのは当然です。

明王さまも仏様をお守りされています。
不動明王さまも含め、大日如来様の使者としてとらえられているようです。
大日如来様は、姿なき仏様とされています。

仏教思想家のひろさちやさんの本が好きでよく拝読させて頂きます。
難しいことも日々の生活での物事や出来事に喩えて下さいます。

この先生が言われるには、大日如来様が株式会社で、明王さまがその社員と喩えて説明されます。
うまいこといいますね。
株式会社は、人ではありませんし、形なきものですね。
しかし、そこに働く社員は現実に形あるものとして存在します。

会社に剣やチェーンを持って出社です。(ちょっと危険です)
体には火炎が燃えています。
石油系の油会社には、就職できませんよね。

いつも怒ったような様相です。
こちらは会社ではよく見かけるお姿です。

明王さまは怖いお姿ですが、それは仏さまに敵対する者に対しての姿です。
私は仏教徒ですから、それほど怖いとは思いません。
目に慈悲や自愛があるように感じます。

大阪の法善寺横町の水かけ不動さんに、オフ会でYukiyukiちゃんとmomoさんとご一緒に参詣したことを思い出します。
多くの人に愛された明王さまです。
以前に記事として書きましたが、実は信じがたいことですが、私は不動王さんとお会いして会話しことがあります。

京都国立博物館にも、静かに不動明王さまの石仏が置かれています。
何とも凛々しく、何とも愛嬌のある、異なった二面のイメージがこの石仏に感じます。
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室町時代の石仏です。
心静かに手を合わせます。
ついでに写真です。(ブロガーのサガですね)

心地よい感じがします。
春のそよ風を頬に感じる思いです。
日が暮れようとしています。

周りには誰もいません。
かと言って寂しくもありません。
心穏やかな時間です。

しばし数分、この石仏の前で時間が過ぎて行きました。
仏様、心の拠り所かもしれません。
何かを願うのでなく、今ここにあることをありがたいと感謝の気持ちです。

ご縁を、仏縁を頂いているそんな安堵の気持ちです。
不動明王さまの表情が柔和感じる瞬間です。

日々の生活の中で、目線を下げて落ちている幸せ探しはどうですか?
足元にもこんな「幸せ」落ちていました。

私は見つけたので拾いましたよ。
ありがとさんです。

今日も最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。