私の住まいします伏見では、秋の夕暮れ、5時過ぎ遠くで寺院の鐘の音がします。
特に、秋から冬にかけて寂寥の感が高いです。
物悲しい寺の鐘の音です。
特に、秋から冬にかけて寂寥の感が高いです。
物悲しい寺の鐘の音です。
家に帰ろうと子供心に感じた夕暮れの知らせです。
遠くですが、耳を澄ませばはっきりと聞こえます。
遠くですが、耳を澄ませばはっきりと聞こえます。
寺の鐘の音は何ともいえずいいものです。
除夜の鐘も、趣深いですからね。
除夜の鐘も、趣深いですからね。
先日、年賀状の申し込みを仕事場で注文がありました。
ああそんな時期になって来たのかと、あと2ヶ月もない今年です。
クリスマスの音楽が聞こえて来たら、すぐに正月になってしまいます。
まだまだと思っていてもあっという間ですね。
愛用の硯(すすり)をじっと見ます。
長く使っています。20年以上使っています。
中国に行った時の土産です。
ああそんな時期になって来たのかと、あと2ヶ月もない今年です。
クリスマスの音楽が聞こえて来たら、すぐに正月になってしまいます。
まだまだと思っていてもあっという間ですね。
愛用の硯(すすり)をじっと見ます。
長く使っています。20年以上使っています。
中国に行った時の土産です。
寺院も鐘も、幾度と消失の歴史があるようです。
1986年には新しい鐘が寄贈され、2005年には重量108トンの大鐘が設けられたと記載を見つけました。
1986年には新しい鐘が寄贈され、2005年には重量108トンの大鐘が設けられたと記載を見つけました。
私がここを訪れたのは1988年、天安門事件前ですから、新しい鐘を見ていたことなります。
残念なことに、その鐘の音は聞いていません。
残念なことに、その鐘の音は聞いていません。
寒山寺は、中唐の詩人で政治家でもあった張継の「楓橋夜泊」によってその名前が広く知られています。
月落烏啼霜満天 月落ち烏(からす)啼(な)きて、霜(しも)天に満つ
江楓漁火対愁眠 江楓(こうふう)漁火 愁眠(しゅうみん)に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇(こそ)城外の寒山寺
夜半鐘聲到客船 夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る
江楓漁火対愁眠 江楓(こうふう)漁火 愁眠(しゅうみん)に対す
姑蘇城外寒山寺 姑蘇(こそ)城外の寒山寺
夜半鐘聲到客船 夜半の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到る
訳
月は西に落ちて闇のなかに、カラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。
運河沿いに繁る楓と、点々と灯る川の漁火(いさりび)が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。
そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえて来た。
月は西に落ちて闇のなかに、カラスの鳴く声が聞こえ、厳しい霜の気配は天いっぱいに満ちている。
運河沿いに繁る楓と、点々と灯る川の漁火(いさりび)が、旅の愁いの浅い眠りにチラチラかすめる。
そのとき姑蘇の町はずれの寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえて来た。
何とも情緒のある詩ですね。
船の上で聞く鐘の音とは趣がありますね。
船の上で聞く鐘の音とは趣がありますね。
少し微妙な感じですね。
即興の余興ですから、そういう意味では関西弁いうところのちょけた感じですね。
即興の余興ですから、そういう意味では関西弁いうところのちょけた感じですね。
寒山寺には、明代に「三絶」と呼ばれた蘇州の文人文徴明の筆になる「楓橋夜泊」の詩を刻んだ石碑があり、明・清代の人びとはその拓本を購買したが、長い年月のため損耗してきたので清末の光緒年間に学者俞樾(俞樾)が彫りなおしたとあります。
境内には多くの石碑がありました。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋、一部参照)
境内には多くの石碑がありました。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋、一部参照)
秋の夕暮れは、何とも詫びや寂びの世界と関係が深いですね。
それにもまして、寺の鐘の音が遠くに聞こえる、詫び・寂びの極地です。
それにもまして、寺の鐘の音が遠くに聞こえる、詫び・寂びの極地です。
深まり行く秋のひと時を静に楽しみたいものです。
目でも、耳でも、そして舌でもですね。
熱いのが欲しくなりましたね。
その時間には、まだまだ早いです。
目でも、耳でも、そして舌でもですね。
熱いのが欲しくなりましたね。
その時間には、まだまだ早いです。
こうして静かに過せることは、幸せです。
耳を澄ませば、思わぬところに、秋の音も楽しめます。
耳を澄ませば、思わぬところに、秋の音も楽しめます。
今日も平穏無事に一日が過せるように祈るばかりです。
最後まで、思い出話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。