''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

海の見えない地下の寿司屋さん。 ポルタより。

先日、お昼ご飯を食べるため、京都駅の地下の商店街、「ポルタ」に入りました。
いろいろなお店があります。
食べ物屋さんも、中華、和食、洋食と何でも来いですね。

昔、私もこのポルタのとあるお店にして、修行をしておりました。
懐かしい気持ちもありますし、あまりいい思い出もないですね。
複雑な思いで、うろうろとしておりました。

一応、昔あったお店にと足が動きます。
何度か、模様替えもあって、店舗も動いていますが、今は名前がわかって居りましたね。

この年齢になると洋食より和食を食べる機会が多くなります。
それ程の年齢でもないのですが、口は高齢化しております。
あっさりしたものを好むようになります。

菜根譚の「真味これ淡なり」です。
前説に、脂っこかったり、甘かったり、味の濃いものは本当の美味しいものではないと付きます。
その上で、あっさりしているものの中に美味しいものがあるという意味です。

財布の中身と相談です。
微妙です。

テクテク歩くとそば屋の前に足が向かいます。
でも、人がすこし並んでいます。
すでに午後2時を過ぎています。

隣の寿司屋に目が向かいました。
今日は、これにしようと店内に入ります。
「本日のランチです」
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にぎり鮨です。
値段も900円と手頃です。
茶碗蒸しも付いてこの料金ならありがたいですね。
イメージ 2

この店、もちろん回ってはいませんが、単品の注文を用紙に書いて、店員さんに渡します。
ただし、一個の値段です。
値段表を見ます。

一個の値段と考えるとなかなか微妙です。
確かに、本日のランチ、9貫と茶碗蒸し付きなら、お徳です。
(単品注文なら、1500円はしそうですね。わざわざ計算せんでもいい。)

ただし、京都のお寿司屋の場合、漬物(今日は茄子の漬物)のにぎり鮨が付くことが多いですね。
京都らしいですが、味的は、普通のご飯と漬物の方がずっと美味いです。
鮨飯と一体しない感じですね。

美味しい店も、もちろんあります。
それが名物の有名なお寿司さんもあります。
でも、ここのは普通茄子の漬物でしたね。

鮨は字の如く、魚がうまいということです。
江戸前のにぎり鮨は、江戸湾でとれた魚を加工したものを寿司と呼んでいます。
酢で〆たり、醤油ベースに漬けたり、煮たりしてものが基本ですね。

加工する職人の技がそこにはあります。
その上、日持ちもすることが前提ですからね。

もともと寿司屋は屋台から始まっています。
お茶の器も大きいのは、フィンガーボールとして手洗いの意味もあります。
ですから、「あがり」というのですね。
最後の手洗いですね。

手拭は、店の暖簾です。
「えー」って感じですね。
ですから、当時は、暖簾の汚れている店が美味い店です。

この入ったお店は、コップにお茶が入っていました。
魚へんの読めない字を、楽しむことも出来なかったですね。
何とも情緒がね・・・・・。

しかし、値段の割には楽しめましたね。
あえて名前出しはしません。写真から分かる程度にしておきます。

すこし気忙しいです。
食べている最中のお皿は、下げないで下さい。
でも、良心的なお店でした。

窓もなく、地下で頂くお寿司です。
海も潮の香りもないです。
でも、それが逆によかったのかもしれません。

気持ちは隣のそば屋においてあります。
次回はそばを昼餉にして見たいと浮気心が出ましたね。

和やかに楽しいお昼ごはんにありがたいと感謝です。
テクテクと少し歩いて買い物が残っています。
ブラブラとポルタの地下街を歩みます。

突然、広場にあれが立っています。
時期が早い驚きです。あれですよ。続く。

今日も穏やかな一日が送れますように手を合わせます。

最後まで、つたない昼餉の記事にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。