''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

蓮月と一緒に月を見てみたい。

五条大橋を手前に、牛若丸と弁慶の石の彫刻があります。
こちらは私のブログでも紹介しました。
その横に歌碑があります。
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太田垣蓮月(おおたがきけんげつ)の歌碑です。
「あすも来て見んと 思えば家づとに 手折るもをしき 山さくら花」
とあります。

 

山桜の美しさに、折って家に持ち帰るには惜しいと、明日も来て見ようというような意味でしょうね。
「家づとに」がもう少しはっきりしません。手土産にでしょうかね。

 

まだまだ勉強不足です。
それでも有名かとネットで探しても見当たりません。

 

この歌と蓮月の関係もよく分かりません。
でも、私も馴染みのある歌人です。
いえいえ、私的には陶芸家としての蓮月焼の蓮月も興味があります。

 

太田垣蓮月は、伊賀上野城代家老藤堂氏の子(母は町芸者とも言われます)として京都三本木に庶子として生まれる。
生まれて10日ほどで大田垣家に養女に出されます。
いわゆる「藁(わら)の上からの養子」と言う形です。

 

名を誠(のぶ)といいます。
一時期、生母と共に亀山(今の亀岡)に10年ほど住まいするという記述もあります。
太田垣家の一人息子の死という事情で婿をとり、死別のち再婚死別します。

 

最初の結婚は、放蕩する夫に泣かされたようです。
また4人儲けた実子とも、その前後に相次いで失い、33歳で剃髪して蓮月と号しました。

 

最後に義父と二人だけの生活となります。
血縁者の縁に薄い人生のようでした。

 

茶の湯、いけばな、舞唄にも優れていていたといいます。
養父が亡くなった後、移り住んだ岡崎で始めた蓮月焼は、有名となり多くの素晴らしい作品を残しています。

 

 一時期の「画聖」・富岡鉄斎(1835~1924)と一緒に血のつながりはありませんが、義理叔母と義理甥として、作陶の仕事をしながら、暮らしをしていたと聞きます。
ちょうど、今の京大病院敷地内の付近です。

 

鉄斎が画家として売れるまで、蓮月が鉄斎の絵に和歌を書いたりして、世に出る手助けもしたようです。
死ぬまで本当の叔母と甥のような、親子のような関係が続きます。
血縁の縁が薄かっただけに、それ以上の関係であったかもしれません。

 

富岡鉄斎文人画はいいですね。
不思議な仙人の世界に引き込まれます。

 

 蓮月は、「引越しの蓮月」と異名を持つくらい引越しをしています。
物の本では60数回というのもあったと記憶しています。
引越し好きと言われていますが、一説には大変美人であったと言います。

 

俗に「男寡(おとこやもめ)にウジが湧き、女寡(おんなやもめ)に花が咲く」といいます。
美人ならほって置かないのが世の常です。
ひどい時には、1年で数回引っ越したことがあるようです。

 

作品は「蓮月焼」の特徴は手捻り(てひねり)で、粘土を葉っぱやの形や小皿の大きさに作り、自作の焼き物に自詠の和歌を釘彫りで施したものです。
ですから、よく見ると蓮月の指紋も作品に残ることもあります。

 

世俗的なことを申しますと、小皿5枚ほど桐野箱に蓮月の箱書きのあるもので、80万円ほどの値段を付いているのを見たことがあります。
何とも情緒のある蓮月焼です。

 

晩年は、西賀茂神光院で余生を送り、85歳で亡くなったといいます。
富岡鉄斎だけに知らせてくれと、遺言を残したといいます。

 

一説には、勤王の志士と関連のある尼僧と見られることや、戊辰戦争の時に官軍の西郷隆盛に和歌を渡してその戦を思いとどまるように進言したというエピソードもあるように聞きます。
真実は不明です。

 

時に世の中のために、私財を寄付し、鴨川に丸太町橋も架けるなど慈善活動に勤しんだとも聞きます。
http://homepage1.nifty.com/Theater5148/seijukan/renngetu_otagaki/rengetsu.htmlを参照にしました。
(『ウィキペディアWikipedia)』参照)


蓮月の和歌の中で好きなのがあります。
「八月十五夜」に詠んだ歌です。
岡崎の月見に來ませ都人 かどの畑いもにてまつらなん

 

何ともユニークな感じのする和歌です。
芋でも馳走してくれそうですね。
それを頬張りながらの月見です。
楽しいでしょうね。
わくわくするそんな歌です。

 

辞世の歌
ちりほどの心にかゝる雲もなし けふをかぎりの夕ぐれのそら

 

何とも心残りのない人生でしたね。
出自も血縁も薄かった蓮月でしたが、命一杯楽しんだ人生のようですね。
太閤秀吉さんや大石内蔵助の辞世の歌に通じます。

 

心残りもないようです。
私もこんな最後が迎えられることを期待します。
また、そんな人生の最後に出来るように精進しなければなりません。

 

大きなことを考えず、日々の生活を一歩一歩進むところにあると思います。
心にある平静を旨として、日々平穏に暮らしたいです。

 

ありがたいと感謝の念を忘れません。
生かされていることを再確認します。

 

今日も穏やかな一日が過せることを祈るばかりです。

 

最後まで、小難しい話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。