''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

SANYO eneloop(エネループ)から見える日々。

三洋電機株式会社の充電式水素電池ですね。
凄いです。
今までアルカリ電池の数倍、いや数十倍も持ちがいいように感じます。
デジタルカメラで、お世話になっています。
私のデジカメのバッテリーは、電池式です。

これはこだわりです。
長く使っています。
古い古いテジカメですが,愛用品キャノンのPowerShotです。
形が古いので、びっくりされます。

こんなの使っている人はいないと思いますが、愛用品です。
手に馴染んで、使い勝手も悪くないです。
しかし、めっちゃ古いのでバッテリーが持ちません。

ところが、この充電池を使うと、数百枚単位の撮影でもバッテリー切れはありません。
この前なら、半年ぐらい充電していませんね。
頻繁には使っていないのも事実です。

しかし、月に1度や2度は散歩のお供にしています。
半年で600枚は撮っていないと思いますけどね。
それ程使用してやっと充電しました。
カメラとの相性もいいのでしょうね。
イメージ 1

そのため、我家も少しずつ、エネループ化しつつあります。
ビックカメラで、単3サイズ4本で、1080円でゲットです。
とっても安いですね。

通常の家電販売店では、1500円近くしますので、大変お徳です。
また、安いときに買い足します。

でも、1000回も繰り返して使えるならとても経済的です。
単純計算、1回1円の計算になります。
難点もあります。

充電時間です。
単3サイズ4本を充電するのに、7~8時間ほどかかります。
この辺だけが課題でしょうかね。

それでも寝ている間に充電しています。
それでもまだ1回しか充電していません。
大変便利になりました。
素晴らしい技術です。

この分なら、電池でバイクや自動車の更なる普及が期待できます。
町々に充電施設が身近にあれば、環境にもいいのかもしれません。
エコな生活です。

繰り返し使えるのは嬉しいです。
人間の知識も繰り返し使えれば、もっともっと凄いと思います。
でも、人には寿命がありますからね。

しかし、お釈迦様の前世の記憶を持っておられます。
幾つもの前世の記憶です。
提婆達多(ダイバダッタ)との前世の記憶をお話したことがあります。
16人の王子として、阿弥陀様と兄弟であった話もしました。

菩薩様の中に、常不軽菩薩様という菩薩様がおいでです。
法華経常不軽菩薩品第二十という経典にその存在が記されています。
南無大慈悲深義常不軽無学大師と言われます。同じ方でしょうね。

とりあえず、変わっておいでです。
経典も読まれません。経典の意味についてもご存知ないかもしれません。
無学の文字が入っていますからね。

人々に向かって、一身に「皆さんを尊敬しております(軽んじてはおりません)」と手を合わせられておいでです。
そして、その方々に「皆様が仏になられる」と言われるのです。
この業を終生続けられて行かれます。
不思議な菩薩様です。

経典は、大勢至菩薩様との対話の形で、書かれています。
この尊い菩薩さまに、罵声や石を投げつける者もいました。
それでも、この業を続けられます。

仏法を悟ったと傲慢に思っている僧や教徒から、「常不軽」と呼ばれます。
威音王如来様という先仏のもとで、妙法華経という教えを人々に広めるために説かれたためでしょう。

遠い遠い時間を経て、お釈迦様がこの妙法華経を説かれるに当たって、多くの仏様、菩薩様が、その場に一同に介されます。
その時、罵倒した僧や教徒がその場においでです。
予言されたように、悟りを得て、仏様に近づけたようです。

何とも不思議な経典です。
それでも仏法の経典の中には、同じような話があるようです。
一身に行をなすことによって、悟りの境地に達することもある。

この常不軽菩薩様を思い出す度に、赤塚不二夫氏の『天才バカボン』に出で来る「レレレのおじさん」をイメージします。
いつも「おーでかーけでーすか? レーレレーのレー」と人に声をかける。
もともと電気屋の社長のという不思議なキャラクターです。

しかし、このおじさんが私には、常不軽菩薩様に見えます。
来世か、そのまた先の来世に、仏して人々をお救い下さるような予感があります。

繰り返し繰り返しの輪廻の中で、その前知識を持てることこそが、仏様の凄さであると痛感します。

電池の容器は、使い続けられるものです。
しかし、人の魂は、逆に使い続けられているものかもしないと感じます。
肉体は、滅びようとも、その魂は、この電池のように繰り返し繰り返し輪廻するものかもしれません。

仏法世界の不思議です。
ですから、この現世も精一杯与えられたホジションをやり切る必要があります。
天からの天命です。

私の場合は、仏法世界の天命を静かに耳を傾けるだけです。
それが私の生きる道かもしれません。
休み休みかも知れません。

日々の生活の中で、その使命を感じるように、見つけるように、生かされているのかも知れないと痛感しています。
そう思うとやはりありがたいと感謝の念をひしひしと感じますね。

今日も一日穏やかに過すことが出来ました。
ありがたいと感謝の念は、晩酌するにも忘れませんよ。
今あることに感謝です。

最後まで、エコいえ、エゴの効いた話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。