''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

滑り台をすべって見ると、子供の頃に戻れます。

家の近くの公園です。
公園といえるほどのものではありません。
ちびっ子広場ですね。

遊具が数点設置されています。
ベンチが一つ置かれています。
広場には策はありません。

古いタイヤを半分地中に埋められています。
黄色く色が塗られています。

子供が、これらの遊具で遊んでいるところは見たことはありません。
周囲に子供の数が少なくなたのか、少し寒いので、テレビゲームに興じているのはか不明です。

子供の頃、ブランコは人気でした。
ゆっくりと独り占めして乗って見たいなんて思っていましたからね。
滑り台も、楽しい遊具の一つでした。
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久しぶりに、滑り台滑りたい気分になりましたね。
誰も見ていません。
流石に、ちょいムズの中年おやじが滑り台をすべって「ヒュー」や「イエィー」と声を発するのは変です。
(ちょいムズおやじとは、ちょっと小難しいことを言うおやじです。かんとうしょうえの造語です)

すぐに通報されます。
そして、いつもの「職質」ですね。(もちろん、実際には受けたことは一度もありません)

何が楽しいのか分からないですね。
それでも、気分がすっーとしますよね。
実際には、この滑り台をすべったりはしていません。

どこかに、体重制限の注意が書かれていたら困ります。
「ブー」って警報がなっても困ります。
それでも、滑っているのは一瞬ですからね。
そこにある非日常感が楽しかったのだと、今思えば感じます。

人は、非日常に憧れます。
人は、非日常に癒されます。

常夏のハワイのビーチーでソファーにでも座って、あくまで海を見て見たいなんて感じますね。
我家からでは、海は見えません。
お隣のお家しか見えません。

海の見える温泉にでも入って、ゆっくりとしたい。
そう感じます。
でも、現実にはなかなか時間も経済的なゆとりもありません。

仮に行ったとしても、思う以上に疲れて帰って来て、「やっぱり我家が最高」と発するのですね。
(実際に行けない悔しさと羨ましさからもしれませんね。)
それでもどこか非日常に憧れます。

誰しもが感じる事だと言えます。
海の近くに住んでいらっしゃると、たまには山中の渓谷の見える場所に憧れるのかもしれません。
贅沢な悩みです。

人であるから、現実の状態に満足していたとしても、「何か」を夢見ます。
夢見ることが楽しいのです。
想像することが楽しいのです。

小学生の頃、遠足の前日のワクワク感が忘れられません。
遠足に行ったことより、帰ってきてから、写真を見たり、いろいろな出来事を思い出して利することの方が楽しかったりします。

今ある事実を楽しむより、それを一度記憶して、頭の中で整理して、楽しい思いをより、濃縮にする。
ですから、楽しい思い出は、現実のことより濃縮して濃いものになります。

子供の頃の記憶も同じです。
嫌なことも多かったはずです。
帰ってきたら、「宿題、宿題」と親に言われ、つまらないことで叱られる。
そんな日常しかなかったはすです。

こんな滑り台やブランコは、日常のそのものであって当然でしたね。
それでも、その瞬間を子供なりに楽しめたと思います。

大人になって、小遣いもすこしあれば、大抵のことが出来るはずです。
大人買いして、大好きだった「チョコレート」を箱買いする。
ゲーム三昧もありですね。

でも、日常の生活にはそんなことはありません。
私の生活には、そんなことはないですね。
子供の頃に思い描いていた生活とは、まったく別物です。

日常の生活の繰り返しです。
深夜帰宅してから、ささやかな晩酌が楽しみです。
撮り貯めていたHDDのドラマやバラエティー番組を見ながら、ほんのひと時を過す。
日常です。

それでも結構楽しいものです。
日々の日常は、嫌ではありません。
不満もありません。
それでも、時に非日常に憧れ、思いを寄せます。

実際は、その非日常を想像することが、一番楽しいのだと確信しています。
目を閉じれば、ハワイにも、北海道にも、北陸にも、お江戸にも、大阪城にも瞬時に行けます。

場所だけではありません。
時間も時空も越えていけます。

「月に水があるって?」
グーグルのタイトルに出ていました。
じゃ、月にも行けますね。

かぐや姫様が「いらっしゃい」とお迎え下さるかもしれません。
ウサギのダンスで場を盛り上げてくれます。

海の底では、竜宮城の乙姫様も「ようおこし」とお出迎え下さるかもしれません。
鯛や平目の舞い踊りで接待です。

「ガーン!!」と何かに当たりました。
我家の柱です。
いつもの妄想に、すこし酔いしれています。

こんな時間の過し方も、楽しいです。
こうして想像できる時間があることがありがたいです。

上を見ても、下を見ても、キリがありません。
今ある状況の中で、出来る中で、楽しみを見つけることが、一番です。

日常あることが、本当は一番の幸せです。
そう感じることが、目線を下げた「よかった」探しです。

滑り台を見て、そこに滑っている子供の自分を思い浮かべます。
あの頃の子供の気持ちが、戻ってくるように感じます。

この滑り台は、時間を滑って、童心に返してくれます。
今あることに感謝しています。

今日も雨音の聞こえる京都です。
平穏無事に一日が過せるように願うだけです。

最後まで、滑った話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。