''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

龍神様かも、神龍様なら願いを込めて。ドラゴンボール何処に。

昨日は天気の悪かった京都です。
天に渦ににっていた雨雲が面白いように見えました。
仕事場へ戻る途中の空です。

何かに見えます。
大きな手に見えます。
ワンピース(ONE PIECE)のバーソロミュー・くま(暴君)の肉球ではありません。

御仏の救いの手かもしれません。
そんな形に見えます。

不思議なことがあります。
この垂れ来れた雲の間から、何度も太陽が私に見えます。
こんな天気に日差しが、私に振り注がれます。
不思議な気持ちです。
イメージ 2

遠くを眺めると、龍神様のお姿が見えます。
見えるように思えます。
写真の一番したの白いところです。

龍の姿が続きます。
遠くから見ると手足も見えます。
尻尾で長く続いています。

顔も目も口先も見えます。
どう見ても龍です。
顔もしっかりそう見えます。
画像ではそれほどでもないですが、思わず写真を撮りました。
イメージ 1

真ん中の光っているところの上に、目が2つ見えます。
お髭もぴゅーんと伸びています。
角も見えるように思います。

体をエスの字上に、手も見えます。
龍の鱗らしい体つきですね。

信じる者しか見えないのかもしれません。
でも、よく龍神を見ます。
見えるだけかもしれません。

時には、はっきりと角(つの)まで見えますし、鱗も見えます。
見えるだけの錯覚かもしれせん。

でも、龍のお姿です。
アニメ ドラゴンボール神龍さまのお姿です。
あのまんまです。

ドラゴンボールは7つ持っていませんので、願い事は叶いません。
でも、それらしいお姿を見れただけでラッキーです。

前にも勝利の女神、善女龍王社の話を記事にしています。

仏法世界でも、龍に関わる話は多いです。
龍と言えば、妙法華経提婆達多品第十二という経の中に、娑竭羅龍王の娘の話があります。
この経典は、前半は仏教の中では、敵と目されていた提婆達多が、実はお釈迦さまの前世で仙人の師匠あった下りの話です。
こちらは前にお話しました。

後半が娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘の話です。
文殊師利菩薩様の教化により、悟りを開きます。
そして、今お釈迦様に会いに来られました。
齢8歳です。

智積菩薩様や舎利弗尊者が、いろいろとおっしゃいます。(クレームです)
こんな子供に悟りが分かるはずもないとね。
お釈迦様ですから30年近くにかかって、悟りの境地です。
もちろんです。

しかし、黙ってお釈迦様に、この龍女が宝の珠を渡します。
お釈迦様は、黙ってこれを受け取られました。
二人の暗黙の了解です。

悟りを開かれたことに間違いはないようです。
お二人の動作に関係なく議論が尽くされます。
このままでは収まりません。

舎利弗尊者は能力者です。
神通力で先の事が見えます。
そうすると、この龍女が男子の変じて、南方無垢の世界で、宝蓮華に乗って、仏のお姿で妙法華経を説いている姿が見えました。

舎利弗尊者だけに見えたのか、舎利弗尊者を通して多くの人に見えたのかは分かりませんが、真実であったことが分かります。

ここが問題です。
長い間、仏法世界では、女性は一段下に見られていた節があります。
穢れているとか、仏にはなれないとか言われていたのは、この経典の解釈です。

一度、男子の姿になってから仏様になられています。
ここにこだわったようです。
でも、どちらにして、齢8歳の龍女が仏になれたのですから、女性ももちろん仏になれます。
後の妙法華経觀持品第十三にも、はっきりと書かれていますからね。

近くのお坊様から、面白いことを聞きました。
この娑竭羅龍女のお父さんは、もちろん龍王です。

お母さんはというと、鬼子母神とも聞きます。
「へぇー。へぇー」です。
これは私も知りませんでした。

この娑竭羅龍女は、七面大明神であるとも言われています。
七面天女の本体は、龍女とも吉祥天とも弁才天とも言われています。
この辺はすこし勉強が必要になる私の課題です。
勉強が足りません。

分かり次第こちらも記事にしたいと思います。
そんなこんなで、龍神とであった話です。

何となくありがたいと感じました。
見守られていると一人、自己満足です。

「そうです。私が龍神です」と紹介はされていませんので、錯覚かもしれません。
えらくハッキリした錯覚です。
そう思って、ラッキーのお裾わけです。
皆さんにも、ご利益があればいいのです。

今日も穏やかに過ごせますように手を合わせます。
ありがたいです。

最後まで、白日夢の見た男の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。