''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

よく見ることから始まります。

先日、機会を得て眼鏡を新しくしました。
私は、眼鏡をかけています。

コンタクトというようなものは一度も付けた事がありません。
無精者ですから、コンタクトをマメに扱うことは出来ません。

呑みつぶれて、眼鏡をつけたまま寝ていることもあるような、無精者です。
皆様のお持ちのブログでのイメージと程遠い人間です。

お布団の横には、眼鏡を壊さないように、ハードなケースを用意しています。
物だけは、大切に扱っています。
眼鏡も体の一部です。

入浴・睡眠以外は、眼鏡をつけています。
しかし、銭湯や温泉では湯船の中でも眼鏡をつけています。
ないと、「メガネ? メガネ?」とやすし師匠状態です。(怒るで、しかし)[済]

しかし、メガネのレンズにかかっているコートは、熱に弱く、お風呂は苦手のようです。
大切に扱っていますが、日々の目の負担も大きいです。
ですから、すこし合わなくなって来ます。

眼鏡屋を通る度に、一度調整をと考えてしました。
今、セールをやっていました。
この機会にとあたらしい新調です。

なかなか顔に合う眼鏡は難しいです。
女性の店員さんが、これどうです? お似合いですよって言うのは、ちょっとトッポイです。
ファショナブル過ぎます。

オシャレな人なら合うのかもしれませんが、極普通の中年ですからね。
枠のないもの、あるもの、金属フレームか、セルかといろいろ試しました。
とりあえず、それらしく見えるもので手打ちです。
イメージ 1

フレームの横に少しだけオシャレをしました。
すこし丸い感じの眼鏡から、四角感じの眼鏡にイメチャンです。

それなりの顔に、それなりの眼鏡が、ほどよく治まりました。
本当は、北陸あたりでつくられている眼鏡が欲しかたです。

よく見えすぎです。
そうじしていない我家の汚れまで見えて来ました。

そう言えば、昭和のバブル期少し前に、眼鏡のレンズにアクセントのシールを張るのが流行りましたね。
メンズにてんとう虫のシールを貼っていた人を見ました。
そんな時は、それに触れずに、無視(虫)ですよね。

今月のサブタイトルは「忠臣蔵」です。

元禄時代、それは江戸のバブル期です。
商人の天下と言わんばかりに財が、巷をにぎわいます。
紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門という大金持ちが象徴です。
こんな世の中では、武士道は遠い昔の話です。

その中で、事件は起こったのです。
赤穂浪士の討ち入り」です。
忘れていた武士(もののふ)の生きる道です。

これに庶民も武士も拍手喝さいです。
張本人の綱吉公もです。
「あんたのお手軽、軽率な判断のお蔭です」

今日の眼鏡は、物事はよく見るという「枕」です。
よく見る、目を付けると言えば、お目付けです。

「目付」という役職が江戸時代にありました。
徳川家の家臣、旗本を監視するお役です。
大名家を監視するのは、「大目付」です。

指揮系統も違います。
目付は、若年寄に属します。
会社で言えば、常務に属します。

大目付は、老中に属します。
会社で言えば、専務に属します。
大目付は、旗本の役職の中では、最出世の役の一つです。

旗本が大名を監視します。
旗本と大名は、昔から中が良くないですね。
格式の違い、家来の数の違いでは、雲泥の差です。

赤穂浪士の数少ない資料の中で、当事者に一番近い人物に、目付の多門伝八郎(おかどでんぱちろう)です。
浅野の殿様から事情を聞いた人です。

「遺恨あり」とした上で、申し開きもせずに、落ち着いての取調です。
武士として、大名として、潔い態度です。
目付の多門は、遺恨でなく乱心であると持ち込みたかったのです。
精神異常となれば、お咎めも少なく成る可能性がありますからね。

あくまでも浅野に好意的な人物です。
しかし、浅野内匠頭は、乱心でなく、遺恨あってのことであると主張を曲げません。
吉良の殿様が強欲という評判も知っての上です。
もちろん、吉良の殿様も取り調べて尋問しています。

吉良も身分は、大大名格の高家と言っても、1万石未満の旗本です。
目付の尋問は、本職です。
強い態度で詰問します。

両者の言い分を、上司の若年寄に報告です。
これが将軍綱吉公に伝わり、綱吉公の意見も加え、浅野の殿様は、田村右京大夫(たむらうきょうたゆう)の屋敷に、お預けです。

すぐ様、即日の切腹の沙汰です。
これに多門は異議を唱えます。
喧嘩両成敗は、頼朝公よりの武士の定めです。
江戸幕府もそれをご政道として不文律としています。

それを曲げてのご沙汰です。
「出羽守(柳沢)様の一存か」
再度と異議を唱えます。
それが、為に多門は目付の職を失います。

しかし、老中・秋元但馬守の仲立ちにより、許しを得て、切腹の場所に検視役として立会いを許されます。
正使、大目付・庄田安利、副使・多門伝八郎と大久保権左衛門です。

多門は、びっくりします。
切腹の場が、庭先です。
浅野内匠頭は、従五位下朝散太夫とした官位を朝廷から賜っています。

多門が、田村の殿様にも異議を唱えますが、大目付の庄田は、跳ねつけます。
出羽守(柳沢)様の後押しもあります。
見せしめです。(ちょっとやり過ぎです)

決定権は、正使はあくまで、大目付です。
目付と大目付、指揮系統が違います。

即日切腹です。
1日での出来事です。
因みに、浅野内匠頭の辞世の歌
「風さそふ 花よりもなほ われはまた 春の名残を いかにとかせむ」

この歌も、多門伝八郎の覚書き『多門筆記』に書いてあり、実物はどこにも残っていません。
謎です。
後で作った歌の感じもしますね。

もし、本物なら、家来を通じて、大石の手元に届くはすです。
届いていません。(不在票もポストに入っていません)
出来過ぎています。

これに多門は、幕府に異議を申します。(異議の好きな方です)
多門が正当な主張です。
幕府も正式な形では、異議の方が正しいです。

正使の庄田は「気づかなかった」と言い開きです。
後日、大目付も罷免です。(この方も、後は哀れな人生が待っています。被害者です)

田村の殿様も、伊達家が本家に当ります。
つまり、伊達家の家来に当ります。

伊達家から、武士の作法をわきまえない仕打ちとして、絶交の沙汰です。(無視する)
家来でもないし、道であっても挨拶もするな。
親戚の寄り合いの席にも呼ばないという、もっとも厳しい処分です。

こんな裏側の話もありました。
目をつけたところから、いろいろな人生を狂わしたことになります。
得した人は誰一人いません。

見えすぎて怖いということもありますが、人の人生の先が見えるのは怖いものです。
遠い未来でなく、日々の生活の目線を下げたら、いろいろな小さい幸せが見つけられます。

眼鏡の性能でなく、自分からそのものに近づくことも、時には必要です。
目線を下げて、こちらから幸せを探す。
「よかった」探しの極意です。

今日も一日平穏無事を祈ります。
ありがたいと感謝の気持ちもアイスのウェハースのように添えます。

最後まで、長々とした話にも多聞(多門)して下さって、こころよりお礼申し上げます。