''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

抜け道は用意しています。

いよいよ、12月13日です。
師走も中旬、せわしくなり始めましたね。

クリスマスの賑わいが巷に流れます。
セールに、町は華やいだ感があります。
しかし、街中には閉店セールも同時で行われています。

不景気と言う少し早いクリスマスケーキが無料で、配られています。
仕事場も、多く配達されて食べることも出来ず、処分しても処分しても、山積となっています。
せめて、お腹を満たす食べ物のケーキなら好かったのですがね。
名前だけケーキです。

それでも久しぶりに、四条河原町にやってきました。
PC用のモニターが前々からほしいと思っていました。
21.5インチワイドのHDのモニターです。

不景気のあおりで、外国製の安物です。
それでも、21.5インチワイドは、14,980円とは安いです。最近はやりのBenqです。
大きいですね。流石です。
すこし、設定に手間取れます。

先にブログの記事をアップと逃げ込みます。
逃げると言えば、秘密の抜け道です。
イメージ 1

京阪電車祇園四条駅です。
人が少ないです。

時刻は、2時です。
深夜の午前2時でなく、昼の午後2時、つまり14時です。
「うそー」と言われそうですが、本当です。
メイン通路には、人が溢れています。

でも、この通路は余り知られていない抜け道です。
団栗橋の袂に出ます。
建仁寺は歩いてすぐです。

南座の裏手の通用口なら、こちらが人目につかないです。
祇園に通じる道です。
人ごみの嫌いな私はよくこの抜け道を通ります。

あるんですよ。
こうした抜け道がね。
自称「抜け道マニア」です。
こんなところに道があります。

今日は、極月半ばの13日、今月のサブタイトルは「赤穂浪士」です。
「おのおの方」と明日、吉良邸へ深夜に討ち入ります。

吉良の屋敷でも、用意はしてあるはずです。
抜け道ですよ。
いざ攻め込まれたら、秘密の地下道を通って、別の屋敷に抜けられるはずの抜け道がね。


吉良上野介「用意してるよね?  そう遠くないよね」

家老・斉藤宮内(さいとう・くない)「そうだよね?」

同じく家老・左右田孫兵衛(そうだ・まごべい)「とねり(隣)に通じてるよね?」(ちょい苦しい)

同じく家老・岩瀬舎人(いわせ・とねり) 「いえいえ、我屋敷の台所に」

全員で、「えー。それじゃ、抜け道じゃないじゃん」


一応、吉良の殿様の寝所からの抜け道モドキは有ったかもです。(仮説)

吉良様の寝所に、浪士が行ったときには、寝具にはおらず、布団の温かさからそう遠くに行っていないと、屋敷をくまない探します。
なかなか、見つかりません。
この時の内蔵助殿のあせりは、如何ばかりかと察します。
この続きは→http://blogs.yahoo.co.jp/kantoshoue/20916218.html

討ち入りの時、三人の家老は隠れていました。
「家臣、それも高禄の家老なら戦えよ」

役人が、後にやって来ます。
もちろん、尋問が待っています。
三人は、かみそりでこっそりと傷を付けて戦ったと言い訳したようですね。

役人の考えるようなベタな工作です。
すぐに判明されて、三人の家老は、世間の物笑いになったと物の本にあります。
「この壁穴、犬猫と家老のほか出入りすべからず」と入り口に張り紙されたとあります。

しかし、刀など抜いたことがない侍に、戦うとは出来ません。
吉良方には多くの犠牲者が出ました。
それを思うと、こうした責任のある方のやり様は、昔も今も変わりません。

先日、深夜見たNHKの海軍の反省会の特集と同じです。
太平洋戦争、勝つことなんて全く考えていなかったのがよく分かります。
自分たちの立場の守るために、戦争を起こしたようなものです。

参謀本部勤務の幹部は、戦後も反省会と称する会を、幾度となく開いていました。
言い訳の会ですね。

戦後半世紀以上経って、自分があの世に行く段階になって、罪の重さ、地獄の重い罰の執行に、善人ぶって、良心の呵責に耐えかねて、口が開きます。
一人が開くと、免罪符を購入するかのように、私も私もと弁明する。
浅ましい卑しい人間の姿です。

幾万の民の怨念は、永遠にその魂を苦しめ、二度と日の目に当る世界には、戻って来れないことでしょう。
最後の人間世界に別れを告げる時です。

あの世、いえいえ地獄とやらで、その怨念を永久に聞き続ける苦行が待っています。
やはり、人たるもの道を外れてはいけません。
外道(げどう)と呼ばれます。

まっすぐに、お天道様の下を歩けるように生きたいです。
それが空腹であっても、貧乏であっても、そうありたいです。

なかなか世の中きれい事だけでは生きられないのも事実です。
それなら、悔い改めて、懺悔(ざんげ)の行動があるはずです。

やるべきことは、分っています。
自分の天から与えられた使命を全うする。
それだけです。
その為の生かされていると思います。

生きていることにありがたいと感謝の気持ちも必要です。
今あるのは先人あってのことです。
それも感謝したいです。

今日も一日穏やかに過せますように、手を祈ります。

最後まで、迷路に入ったままの話、この辺で抜け道をみつけました。
今日もありがとさんです。