京都も、ここのところの寒さで、有名な底冷え状態です。
風も冷たいです。
それ以上に、盆地独特の冷えが応えます。
深夜の帰宅、何より最初に熱燗のお酒が、やさしく労わってくれます。
風も冷たいです。
それ以上に、盆地独特の冷えが応えます。
深夜の帰宅、何より最初に熱燗のお酒が、やさしく労わってくれます。
一人静かに手酌酒。
何とも哀愁のある男の姿です。
静かに一日を振り返ります。
何とも哀愁のある男の姿です。
静かに一日を振り返ります。
イライラすることもあります。
腹立つことも多いです。
それもひと時のこと、夢幻と思い、家の中まで持ち込まないようにしたいです。
すべては、「空」です。
腹立つことも多いです。
それもひと時のこと、夢幻と思い、家の中まで持ち込まないようにしたいです。
すべては、「空」です。
すこしだけ、冷えた体を、熱いお酒で温めます。
肴は、豆腐と葱の卵の煮込みとメザシです。
最近、このメザシにはまっています。
プチブームです。
肴は、豆腐と葱の卵の煮込みとメザシです。
最近、このメザシにはまっています。
プチブームです。
8匹ほど入って200円余りです。
わらを目に指しています。
名前の通りメザシです。
わらを目に指しています。
名前の通りメザシです。
そんな者が、手に馴染んで最近よく愛用しています。
道具は値段でなく、相性もありますからね。
道具は値段でなく、相性もありますからね。
当時は、官位から言っても、大老格も同然ですからね。(大老格になるのは宝永3年(1706)です)
老中と言えども逆らえず、しぶしぶ即日切腹の沙汰です。
将軍綱吉も大変なお怒りですから、当然かもしれません。
老中と言えども逆らえず、しぶしぶ即日切腹の沙汰です。
将軍綱吉も大変なお怒りですから、当然かもしれません。
事件のあったこの年、名前も綱吉の「吉」の片諱(かたいみな)を頂き、保明(やすあき)を吉保(よしやす)と名を変えます。
同時に呼び名も、出羽守から美濃守に変わります。
上り詰めています。
同時に呼び名も、出羽守から美濃守に変わります。
上り詰めています。
柳沢 吉保(やなぎさわ よしやす)は、館林藩、家禄160石で小姓使えます。
綱吉が将軍になる前の話です。
綱吉が五代将軍になる新設された側用人となり、綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を中心となります。
綱吉が将軍になる前の話です。
綱吉が五代将軍になる新設された側用人となり、綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を中心となります。
元禄元年(1688年)、側用人に就任、禄高も1万2000石とされて大名に列する。
2年後にも2万石加増。
元禄3年(1690年)、従四位下に昇叙。
元禄7年(1694年)1月には7万2000石、武蔵川越藩主(埼玉県川越市)となる。
同年12月には老中格並びに侍従に就任する。
同11年(1698年)、大老が任ぜられる左近衛権少将に転任する。
同14年(1701年)、将軍綱吉の諱(いみな)の一字を与えられ、吉保と名乗る。
同時に出羽守から美濃守に遷任し、松平の姓を許された。
宝永元年(1704年)、綱吉の後継に甲府藩主徳川家宣が決まると、家宣の後任として甲府藩15万石の藩主となる。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋、参照)
2年後にも2万石加増。
元禄3年(1690年)、従四位下に昇叙。
元禄7年(1694年)1月には7万2000石、武蔵川越藩主(埼玉県川越市)となる。
同年12月には老中格並びに侍従に就任する。
同11年(1698年)、大老が任ぜられる左近衛権少将に転任する。
同14年(1701年)、将軍綱吉の諱(いみな)の一字を与えられ、吉保と名乗る。
同時に出羽守から美濃守に遷任し、松平の姓を許された。
宝永元年(1704年)、綱吉の後継に甲府藩主徳川家宣が決まると、家宣の後任として甲府藩15万石の藩主となる。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋、参照)
1万石の大名になってから、15万石の大大名になるまで、16年ほどです。
太平の世にあって、これほどの出世をご仁はいません。
太平の世にあって、これほどの出世をご仁はいません。
それでも、すごい偉業ですね。
強欲な悪い政治家のイメージですが、名君でもありました。
領地の民には、名君と思われているようです。
強欲な悪い政治家のイメージですが、名君でもありました。
領地の民には、名君と思われているようです。
賄賂が横行しています。
経済もちょうど江戸時代最高のバブル期です。
商人の付け届けも、柳沢屋敷前に列を成すほどの勢いです。
家禄160石の武士としては、この世の花ですからね。
経済もちょうど江戸時代最高のバブル期です。
商人の付け届けも、柳沢屋敷前に列を成すほどの勢いです。
家禄160石の武士としては、この世の花ですからね。
身分低いと侮蔑する者もいます。
しかし、気にはしません。
将軍に対する忠義です。
しかし、気にはしません。
将軍に対する忠義です。
綱吉公は、大変気難しいご仁であったといいます。
その気難しい主人を上手に手名づける術があったのでしょう。
その気難しい主人を上手に手名づける術があったのでしょう。
何が欲しいか、「あうん」の呼吸で察します。
言葉を発せずとも、気持ちが通じているのです。
気遣いのご仁であったと思います。
言葉を発せずとも、気持ちが通じているのです。
気遣いのご仁であったと思います。
ただ、主人の機嫌を上手に取るのと、民が望む政治とは、真逆の関係です。
当時は、「生類憐みの令」という悪法が蔓延っています。
犬年生まれの綱吉に男の子が授からないのは、その因縁のためと、特に犬を保護します。
当時は、「生類憐みの令」という悪法が蔓延っています。
犬年生まれの綱吉に男の子が授からないのは、その因縁のためと、特に犬を保護します。
人間よりも、お「犬」様です。
犬に手を上げると、人間が処罰される時代です。
無茶苦茶な時代です。
犬に手を上げると、人間が処罰される時代です。
無茶苦茶な時代です。
綱吉公が「犬公方」と呼ばれる所以です。
子供は、神様からの授かりものです。
子供は、神様からの授かりものです。
そんな時代でなかってよかったです。
しかし、現在でもペットが人間並みに、いえそれ以上になっています。
時代は繰り返しています。
歴史から学ぶことは多いです。
しかし、現在でもペットが人間並みに、いえそれ以上になっています。
時代は繰り返しています。
歴史から学ぶことは多いです。
人があって、犬があります。
犬も家族ですが、人も家族です。
犬も家族ですが、人も家族です。
ほどほどがいいように思います。
私も犬好きですよ。
癒されます。
私も犬好きですよ。
癒されます。
豆腐とメザシで、とりあえず一杯です。
ありがたいと、今日一日を振り返ります。
平穏無事が一番です。
それが幸せだと実感します。
ありがたいと、今日一日を振り返ります。
平穏無事が一番です。
それが幸せだと実感します。
今日も平穏無事に過ごせますように、手を合わせるだけです。
最後まで、燗酒冷めるほどの時間にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。