''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

東方の三博士 お江戸編

クリスマスムードの流れる街中です。
家の近くには、稲荷山、寶塔寺、藤森神社と神仏に関わる聖地と言える場所が多くあります。
東山三十六峰の最終地点です。

もちろん、出発は、比叡山延暦寺でしょうかね。
こちらも、仏法の聖地です。

そこから、有名な寺院がこの峰々に連なっています。
紅葉で有名な東福寺南禅寺もその一つです。
しかし、それだけではありません。

伏見にも教会があります。
修道女様のおいでの正式な教会です。
ビルの一室を借りて、布教するような形だけの教会でなく、鐘の塔も備える立派な教会です。
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夕刻、この教会の鐘がなります。
寺院の鐘の音も聞こえます。
何とも風情があります。

もちろん、クリスマスの備え付けも、ムードがあります。
玄関先に、絵が掲げられています。
キリスト誕生に祝福しに来た東方の三博士との絵画です。

東方の三博士(とうほうのさんはかせ)は新約聖書に登場し、イエスの誕生時にやってきてこれを拝んだとされる人物。
『マタイによる福音書』には記されているが、「占星術の学者たちが東の方から来た」としか書かれておらず、人数は明記されていないようです。
彼らはヘロデ大王に「新しいユダヤ人の王」について尋ね、ベツレヘムへたどりつく。

彼らはイエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた(この贈り物の数から「三人」とするのが定着した)。
ヘロデ大王は幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼むが、彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて帰った。

「博士」あるいは「賢者」と訳される言葉「マーゴイ」(ギリシャ語)の原義は天文学者であったようである。三博士の名は、西洋では7世紀から次のような名が当てられている。
メルキオール(Melchior-黄金-王権の象徴、青年の姿の賢者)、
バルタザール(Balthasar-乳香-神性の象徴、壮年の姿の賢者)、
カスパール(Casper-没薬-将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者)。
(『ウィキペディアWikipedia)』一部抜粋、参照)

いつもいつもウィキ様には、教えてもらう事ばかりです。知恵の宝庫です。
キリスト様については、無知な私ですが、この三博士の話は知っています。
去年もここには触れて書いています。

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今月のサブタイトルは、「赤穂浪士」です。

どこまで引っ張るのかと、思う悩んでいますが、ネタはいろいろありますので、書き記します。(悩)
お江戸にもこの赤穂事件、吉良家討ち入り事件について、真っ向から逆の意見が出て来ます。

このお江戸、東(あずま)の三博士を論じます。

まず一人は、幕府の学者である林大学頭信篤(はやし・だいがくのかみ・のぶあつ)です。
今で言う東大学長さんの学者の頭です。
もちろん、文部科学大臣としての役人でもあります。
正論を説きます。助命派ですね。

次の一人は、荻生徂徠(おぎゅうそらい)です。
吉良家討ち入りの知らせを受けた将軍綱吉は、「あっぱれ、まこと武士の鑑(かがみ)」と賞賛です。
いえいえ、貴方がこの事件の発端、張本人ですよ。
「喧嘩両成敗」の不文律に反し、取り調べもしないで、即日切腹です。

世の中の流れは、赤穂浪士に盛り上がります。
時のヒーローです。(♪ ヒーロー ヒーローなる時 ああ それは今~)
流れは武士の鑑(かがみ)として助命に傾きます。
しかし、柳沢吉保の家臣(特に儒臣)、儒学者荻生徂徠は「公」や「義」を説きます。

その著書『義律書(ぎりつしょ)』を幕府に提出します。
如何なることがあったにせよ、公儀に楯突いた謀反人です。
これを助けることが、正義のなか、それを問います。
そして、「公」の立場から「義」を説きます。

武士として、いかに居るべきか、何を持ってこれらの結末とすべきか、を問います。
武士として名誉を重んじて「切腹」の沙汰を押し出します。
内蔵助を始め、47人全員、「死」の覚悟、そのつもりで討ち入っています。
助命は考えていません。

武士としての名誉ということになれば、その名は永久に残ります。
300年経ってもこうして記事にしているくらいですからね。
真実とは違っても、それは美談になって後世にその名が残ります。
子孫も鼻高々です。

確かにもし助命していたら、これほど美談としては残りません。
かならず、「俺は、赤穂浪士だ。義士だ」と人生を踏み外した浪士がいた筈です。
今まで、微禄で食うのも大変であったのです。
一躍ヒーローとして巷に出れば、あちらからこちらから、「300石」で「500石」で、はたまた「1000石」でと仕官の口も入ります。
しかし、それだけの高禄をもらうだけの仕事はできません。

まさしく、お飾りとしての仕官ですからね。
それも辛いと思います。
そうすると、酒に色にと走って身を持ち崩す。

人の常です。
仏法の「妙法華経」にも出てくる増上慢(ぞうじょうまん)になってはいけません。

そういう意味では、荻生徂徠の言い分は正しい。
それを「公」にして「義」にするには、武士として切腹ということになります。
公儀としては、その「非」は認めません。
ご政道(せいどう)が大事、柳沢吉保としても、そこは譲れません。

これらの幾多の情報をまとめた人物、それが最後の三番目の室鳩巣(むろきゅうそう)です。
『赤穂義人録』を著しています。

義人、義士と言い始めたのはこの方のようです。
儒学者です。木下順庵の門弟です。
事件の時は、加賀前田家に仕えておりました。

しかし、後に新井白石の推挙で、幕府の儒学者となり、家宣、家継、吉宗の三代に仕え、八代将軍吉宗のブレーンとして享保の改革を補佐する立役者です。
後に、幕府の力を借りて、この事件も深く調査しているはすです。

人の道、いろいろとあります。
何を善として何を悪とするのか、難しいです。
人の世は、常に相対的なもの、そういう世界に住しています。

昨日の悪は、今日の善にもなります。また、逆もあります。
そういう意味でも、この世は「空(くう)」なのかしれません。
それをあれやこれやと議論して、いら立ったり、恨んだり、妬んだりと不愉快になります。
すべて、「空(くう)」ですからね。

心穏やかに過ごせるにはどうしたらいいのか?
いつも考えます。
嫌なことは気にしません。
気にすると思うことすら、思わないようにします。

火の粉が身にかかれば、払わないといけません。
しかし、身の危険がないなら、まさしく気にしない。

心の持ちようです。
常に、平静を求めます。
今日も平穏無事を祈ります。

何もないのは一番の幸せです。
ささやかな、少し目線を下げて、「よかった」探しをして見たら、小さい幸せ見つけられます。
ラッキーです。ハッピーです。
ありがたいと感謝もご一緒に、どうぞ。

私も心が落ち着きます。ストレスとはブログが打ち切ってくれます。
ありがたいです。

最後まで、長い話にお付き合いくださいまして、心よりお礼申し上げます。