''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都伏見の地より、メリークリスマスです。

「メリークリスマス」というと世界の北野武を思い出すのは、年でしょうかね。
「ミスター・ローレンス」(♪坂本龍一さんのあの音楽が流れます)

 

昨日は、クリスマスイブでしたね。
深夜帰宅の私は、イブからクリスマス当日ぐらいでしたね。
久しぶりにシャンパンを頂きました。

 

あちらこちらに見えるイルミネーションが、とっても幻想的でしたね。
昨日の教会の前を通って帰宅です。
とても、きれいな様子でした。

 

隣には、聖母女学院があります。
最近、クリスマスに向けて、正門あたりが改築です。
何ともいい感じです。
イメージ 1

大きなリーフも素敵ですね。
電飾も付いていますね。
華美でなく、品のいい感じです。
夜ともなれば、何ともムードがありますね。
もう少し楽しめます。

 

立派な建物です。
もともと軍の施設です。
16師団の本部司令部でした。
博物館のような、美術館のような、拡張ある造りの建物です。

 

今月のサブテーマは、「赤穂浪士」です。
クリスマスとどう結びつくのかって?
もちろん、御用の筋です。

 

ヤソ、バテレンとくれば、当時の日本ではご法度です。
キリスト教の布教も信仰も禁止されていました。
それらを取り締まるのが、宗門改めという役職です。

 

赤穂浪士の中にも、そのお役目の方がおいででした。
なかなかマニアックですが、千馬三郎兵衛光忠(せんば・さぶろべえみつただ)殿です。

 

千馬三郎兵衛は、馬廻り役と宗門改役を兼務していた。(100石(のち30石に減封))

 

高槻藩永井家臣の千馬求之助の次男。
母は赤穂浅野家家臣の筑間三右衛門の娘。
同族で赤穂浅野家家臣の千馬家に養子に入った。
赤穂藩では馬廻り役・宗門改役を勤めていた。

 

しかし、千馬は実直で融通が利かない性格だったといわれ、主君の浅野内匠頭にさえしばしば直言した。そのため内匠頭の不興を買い、ついに元禄10年(1697年)8月18日には閉門を命じられ、この際に100石から30石に減封される。

 

しかし、なおも千馬の直言癖は直らず、内匠頭との関係はさらに悪化する。
その為、元禄14年(1701年)3月初めには千馬の方から浅野家から離れたいという暇願いを浅野内匠頭に提出していた。

 

しかし、その許しが出る前の3月14日に浅野内匠頭吉良上野介に刃傷に及ぶ事件が発生する。
(『ウィキペディアWikipedia)』一部抜粋、参照)

 

何故、討ち入りに加わったのか、謎もあります。
しかし、やはり主人に対する忠誠よりも、武士として名誉を選んだように感じます。
経済がバブル状態です。

 

その反面、武士も賄賂横行する名ばかりのおろかな役人が幅を利かせます。
やってられないと思うところもあった。
このまま何のために生きていくのか、その目的を見失ったような自暴自棄の中、討ち入りです。

 

ここに死に場所を求めたと言えます。
武士(もののふ)の生き方は、如何に名誉を重んじるかですね。
今の正義とはすこしズレがあります。

 

気持ちは分かります。
それだけ、生き死にが身近でしたからね。
人生50年、まだ医療の発達もしていません。

 

若い人でも、病気でこの世を去ることも多いです。
子供の成長もままならない時代です。
人の死が身近でしたからね。
そんな中での死に対する感覚は、現在人には知ることが出来ません。

 

生きると死ぬるは、別物でありながら、紙一重でもあるといえます。
生きるといえば、必ず死ぬが最後にあります。
その間は人の運命、天命によって違います。

 

何かのためにこの世に出て来ています。
それを知ることこそ、天命を知るではないかのように感じます。
生きるのでなく、やはり何かの力で生かされています。
それぞれ、主人は違っても、何かの力で生かされています。

 

そう思うとおのずと「感謝」の気持ちが沸きます。
一人一人が、そう感じると、世の中は平和になるはずです。
世界は変わると思います。

 

「キリスト様、そうは思われませんか?」
「イエス
そう答えが聞こえた気がします。
いつもの空耳です。

 

とりあえず今あることに感謝して、ありがたいと思える生き方をしたいです。

 

今日も平穏無事に過ごせますように、手を合わせます。

 

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼を申し上げます。