''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

あなたのそばがいい。

昨日は、今年最初の忘年会となりました。
学生時代の友人と二人での飲み会です。
昼過ぎ、12時半、京都三条橋に集合です。

 

いつもここに集合しています。
時間は少し前でしたが、彼はすでに来ていました。
いつも時間より早い集合です。

 

どこに行こうかとの問いに、いつものように蕎麦屋に向かいます。
場所は決めていません。
その日の雰囲気です。

 

場所は三条の有喜屋です。
京都では数店舗ありますね。
私のブログにもよく登場します。

 

店について、「まずは熱燗」です。
2合徳利で指つ指れつです。
肴は、かまぼこ、出し巻き卵、鰊の焚いたんです。

 

写真が無いって、そうです。
美味しすぎて写真を撮るのを忘れたなんてね。
いえいえ、そうではなくて、彼も私がブログをやっているのを知っています。
写真を撮っているのですか、一々写真を撮ってからでは、お預け状態になるので、この日は写真を止めました。

 

今度一人の時にゆっくりと写真は撮ります。
年に数回の飲み会ですから、そういう時間を楽しみたいです。
イメージ 1

店内に額が上がっています。
最近流行の梵字です。
すこしだけ私は読めます。
「うきや そば」とお見受けします。

 

お店の名前を、徳のある方が書かれたのでしょうね。
梵字は、遣隋使などによって、日本もたらされていました。
しかし、本格的に持ち込んだのは、空海です。

 

正統に学ばれた人物です。
2年ほどで会得です。
超人です。

 

この梵字の知識は、仏法には必要不可欠な知識です。
最澄日蓮も、梵字を習われています。

 

最近流行の梵字のため、正式な文字でないものも多いです。
意味を知らないで、Tシャツ着ていますね。
おいそこの「か」さんや「さく」さん、あなたですよ。

 

一文字でも意味はあります。
仏様や菩薩様を、一文字で表すこともあります。

 

梵字は、日本語とよく似ています。
母音があります。
「あいうえお」の順番ですね。

 

その音と文字の表記がそれぞれの文字の特徴でもあります。
例外は多くありますけどね。

 

もっと大胆なことを言います。
昔、昔、その昔に聞いた話です。
日本語が梵字の原型になっていると言うのです。
そんなことはと思われます。

 

しかし、日本には文字が無かったですね。
漢字と言われる文字が入るまで、その文字が無かったのです。

 

中には、神様に対する特別な文字を使っていたと言うことは聞いています。
今でも、神道系にはこうした文字が残っています。

 

しかし、一般的には、オリジナルの文字は無いようです。
でも、言葉はあったはずです。
どんな言葉であったかは、不明です。

 

言葉も今のように、系統したようには習いませんので、東北弁のように、今では使わない発音もあったはずです。

 

母音と子音の組み合わせは、あったはずです。
それは古代とて同じはずです。
その言語が原型と考えれば、ありえるようなことです。

 

日本語が梵字の原型とは、誰もどこにも資料として書かれていません。
あくまでも、子供の頃聞いた話です。(如是我聞です)
しかし、言語学的には似ていると言えます。

 

話は戻って、有喜屋のそば、今は「十割そば」をやっています。
腰があって、うまいです。
もちろん、お酒のしめは、ざるそばでした。

 

池波正太郎ごっこです。
「呑まないくらいなら、蕎麦屋に入らぬ」ですね。

 

休日の大人の時間です。
お土産に、ここの「蕎麦味噌」と「鰊」をゲットです。
イメージ 2

 

今月のサブタイトルは、「赤穂浪士」です。
よくもここまで引っ張りましたね。
我ながら、自画自賛です。

 

そばと言えば、御側用人(おそばようにん)柳沢吉保とは、行きません。
これは、前に書いてしまっています。

 

そばと来れば、「あたなのそば」です。
あつあつですね。(ヒューヒューです)

 

赤穂浪士の中でも、飛びぬけて知識人教養人というと、小野寺十内秀和(おのでら・じゅうないひでかつ)です。
御年、61歳です。還暦過ぎですね。
矍鑠(かくしゃく)としています。

 

和歌は、金勝慶安(こんしょうけいあん)の門です。
妻は丹(たん)殿です。丹女とも書かれます。
丹殿も和歌も書も堪能です。

 

ふたりは、大変仲がよく、江戸と京都に分かれても、こまめに文を出しあっています。
離れていても、心はいつもそばにあったのですね。

 

その丹女の夫に対す和歌に
「筆の跡 見るに涙の しぐれ来て 言ひかへすべき 言の葉もなし」
というのがあります。
涙を流しながら、手紙見ている様子、まさしく返す言葉もないです。

 

左ききのあなたの手紙、右手なぞって~
アリスの『終止符』を思い出しました。
今日の京都もすこし天気がよくないです。
しぐれそうでしょうかね。

 

夫の切腹の後、老母を看取り、夫と養子、甥の大高源吾、岡野金右衛門の4人の供養塔を建立の後、本圀寺塔頭・了覚院に入り、絶食して自ら命を絶ちます。

 

丹女の辞世の句
「つまや子の まつらむものを 急がまし 何かこの世に 思いおくべき」

 

すばらい夫婦愛ですね。
いつの世にあっても、微笑ましいです。

 

あなたのそばがいいって、事でしょうね。
うらやましいことです。
分れても末に逢わんとぞ思うですね。

 

悲しい事件です。
徳をした人はいません。
歴史に学ぶことも必要ですね。
世の中も平穏無事が何よりです。

 

今日も天気はしぐれとも、平穏無事に一日が過ごせるように、手を合わします。
ありがとさんの感謝の気持ちを添えて。

 

最後まで、そばのように長い話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。