''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

めざしを食って、吾思う。土光編。

不景気という甘くもないケーキが、あこちらこちらに売られています。
買う人はいませんね。
不景気に喜ぶ人はいないです。

経済は、低空飛行です。
我が家の財布も同じです。

それでも日々元気で生かされています。
ありがたいと思う日々です。

昭和の時代には、多くの偉人が居られます。
経済人なら、何はなくてもお金・お金と金銭に執着します。
それなり社会的な地位のある方なら、それに見合う生活があります。

当然の成り行きです。
会社から車が迎えに来て、出社ですよね。
昼ごはんは、会議を兼ねて、豪華な昼食か、仕出の豪華弁当というのが、普通です。

偉くなられたのですから、それなりの対応があってしかりです。
もちろん、夜は接待三昧で、車で深夜の帰宅です。
深夜の帰宅だけは私と同じです。(笑)

たまの家での夕食も、もちろん御馳走が並びます。
当然です。
成功者ですからね。

しかし、変わった変人ともいう偉人が昭和にはおいででした。
土光敏夫氏です。
その名も「めざしの土光」さんです。

現・石川島重工業や東芝の社長をされた実業家・財界人です。
後の第4代経済団体連合会経団連)会長さんですね。
それよりは、臨時行政改革推進審議会の会長として方が有名でしょうかね。

行政改革に執念して、昭和58年(1983年)に行財政改革答申をまとめ「増税なき財政再建」「三公社(国鉄・専売公社・電電公社)民営化」などの路線を打ち出し、さらに昭和61年(1986年)までは臨時行政改革推進審議会の会長を務め行政改革の先頭に立った。


また普段の生活ぶりは感服させられるほど非常に質素であり、決して蓄財家でもなく微々たる生活費(月10万円を超えることがなかったという)以外の残りの多額の収入はすべて横浜市鶴見区にある私立校の橘学苑に寄付されていた。

普段の生活は一般庶民よりも質素であったことはよく知られている。家の中のことはもとより、経団連会長になってからも通勤には公共のバス・電車を利用していたほどである。

疑獄事件で敏夫の捜査を担当した検事によれば初聴取のため早朝土光宅を訪ね夫人に敏夫の所在を確認したところ、もう出社したという。こんな朝早くにといぶかしむと、「今でたところなのでバス停にいるはずです。呼んできましょうか?」とのこと。

すぐさまバス停に向かうと果たして敏夫はバス停でバスを待っていた。この時に検事は彼の無罪を確信したと後に述べている(若林照光『土光敏夫人望力の研究』 PHP研究所PHPビジネス文庫〉、1983年、108頁)。
(『ウィキペディアWikipedia)』一部抜粋)

すごい偉人です。

行政改革を推進する宣伝番組として、昭和57年(1982年)7月23日にNHKで『NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』というテ番組が放送されました。

その番組の中で妻と2人きりでとる夕食の風景であった。メニューはメザシに菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米。これが「メザシの土光さん」のイメージを定着させた。
(『ウィキペディアWikipedia)』一部抜粋)

私も微かな記憶の中で、めざしを食べておられる映像を見たような記憶があります。
私もめざしを食べようと思いましたね。
いえいえ、その頃からめざしは好物でしたから、すぐに食べられます。

こんな時代、この時代を思い出して、めざしを焼きました。
イメージ 1

添え物に、野沢菜を刻んだものに、いつもの一味唐辛子です。
これなら、熱燗が楽しみです。

めざしは美味いです。
少し硬くなったのを、火であぶります。
ちょっと焦げましたね。
これに、味のうちです。

野沢菜のシャキシャキ感が、郷愁をそそります。
「うまい」です。
日本人に生まれて来てよかったと思えますね。
こんなつましい物が、美味いのですからね。
誇りです。

うーんと感心しながら、いつものように今日もありがとさんと、まとめるつもりでしたが、落ちがあります。
「めざしの土光」は、やらせであったと言う落ちです。
うーん、ちょっと残念です。

メザシについてはやらせが指摘されている。『朝日新聞』1995年2月3日号の「にゅうすらうんじ」(早房長治)によれば、実際は故郷の岡山県から送られて来た山海の珍味を使った直子夫人の手料理にしばしば舌鼓を打っていた。だから、「テレビなどの演出にあえて乗ったのは、「質素なリーダー」のイメージを利用して、行革を成功させるためだったと思う。」という。

早房は好意的にこの件を紹介したが、敏夫に批判的な側からはやらせを認めるのかと強い反発を受けた。またメザシは高級品で知られる丸赤商店のもので、当時でも500~600円したという(JR20年~またひとつ明らかになるマスコミの大罪)。
(『ウィキペディアWikipedia)』一部抜粋)

この記事を見つけました。
この新聞自体は読んでいませんが、元秘書などの話によると、イメージによるマスコミを利用したことは、事実のようです。
また、著書も本人でなく、ゴーストライターによるもので、本人が執筆したことはないようです。

本人の意思なのか、周りの意思なのか、不明です。
しかし、乗り切ったところに、バブルがあったのですから、その場としては成功です。
景気のよい時代を作った偉人です。
今あるのも、この偉人のお蔭です。(ありがとさんです)

そんなそんな冬の時代も、春が来た。
その不景気も、春が来ます。
今しばらく、めざしを楽しみながら、これで一杯呑んでいるまに、景気も回復することを祈ります。

今日も穏やかな天候の京都です。
日差しも差しています。
吉兆ですよ。(なにやらあの女将の顔がちらつきますけどね)
今日は何だか、納得していませんけどね。

今日も平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
ありがたいと感謝の気持ちも、めざしに振りました。

最後まで、偉人伝説にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。