それとも、「隙があったら、かかってこんかい」の岡八郎さんでしょうかね。
通信教育で空手を学ばれていましたからね。(笑)
今で言う、エアー空手でしょうかね。
それとも本当に「空(くう)」の手という意味でしょうかね。
通信教育で空手を学ばれていましたからね。(笑)
今で言う、エアー空手でしょうかね。
それとも本当に「空(くう)」の手という意味でしょうかね。
昭和10年、船腰義珍(ふなこし・ぎちん)により「唐」の字が「空」へと改められることとなったようです。
当時の国際事情からに中国を表す「唐」という文字は不適切というご時世です。
このため、急遽、般若心経の「色即是空」より「空」の文字が取られ、今日我々が使う「空手」という言葉が誕生したとのことです。
当時の国際事情からに中国を表す「唐」という文字は不適切というご時世です。
このため、急遽、般若心経の「色即是空」より「空」の文字が取られ、今日我々が使う「空手」という言葉が誕生したとのことです。
やはり、空手は「空」は「空(くう)」なんですね。
敵に攻撃でなく、自己の精神修練ですね。
相手はいません。
「空(くう)」ですからね。
敵に攻撃でなく、自己の精神修練ですね。
相手はいません。
「空(くう)」ですからね。
まさしく「エアー空手」です。
もしあえて相手というなら、自分ですかね。
いえいえ、やはり「空(くう)」ですから、相手はいません。
もしあえて相手というなら、自分ですかね。
いえいえ、やはり「空(くう)」ですから、相手はいません。
空(くう)という空間に住しています。
欲でなく、修練でなく、自己の存在も何もかも持たないまさしく「空(くう)」ですね。
そこには、怒りも疲れも何もありません。
欲でなく、修練でなく、自己の存在も何もかも持たないまさしく「空(くう)」ですね。
そこには、怒りも疲れも何もありません。
魂の世界は普遍です。
肉体には、その限界があります。
輪廻を繰り返す前提にあるのも「空(くう)」です。
肉体には、その限界があります。
輪廻を繰り返す前提にあるのも「空(くう)」です。
今日のいらいら、腹立ち、つらさも、まさしく「空(くう)」です。
精神の拠り所を修練するのが、現世です。
精神の拠り所を修練するのが、現世です。
いろいろなところに「空」の考えが役立ちます。
たとえば、ここに御馳走があると考える。
ステーキーにしましょうかね。
たとえば、ここに御馳走があると考える。
ステーキーにしましょうかね。
大きなステーキーです。
思いながら、我が家の貧家の食事です。
思いながら、我が家の貧家の食事です。
一汁一菜でも、楽しくなります。
エアーステーキーです。
あると想像できる気持ちが、心の豊かさです。
エアーステーキーです。
あると想像できる気持ちが、心の豊かさです。
何度かに一度は、現実のステーキーも必要です。
そうしないと味が想像出来ませんからね。(笑)
ステーキーソースの代用って手もありますね。
無ければないで工夫する、そこに生きる楽しみを見つけます。
そうしないと味が想像出来ませんからね。(笑)
ステーキーソースの代用って手もありますね。
無ければないで工夫する、そこに生きる楽しみを見つけます。
これで空からひとまず退避です。
しかし、パスタの色とミートソースの色では、何か物足りません。
そこで、パセリです。
しかし、パスタの色とミートソースの色では、何か物足りません。
そこで、パセリです。
あいにく切らしています。
そんなとき、乾燥パセリが役立ちます。
「エアーパセリ」ですね。
88円のHachiのパセリです。
これはありがたいです。
白地に赤に緑の補色の色合いです。
そんなとき、乾燥パセリが役立ちます。
「エアーパセリ」ですね。
88円のHachiのパセリです。
これはありがたいです。
白地に赤に緑の補色の色合いです。
ぐっと、食欲が増します。
緑は、食欲を掻き立てます。
緑にはそうした色の効果がありますね。
緑は、食欲を掻き立てます。
緑にはそうした色の効果がありますね。
緑と赤は、間逆の色合いです。
「妙」と「法」の関係でもあり、一対をなします。
緑があることで、赤は引き立ち、赤あることで緑は引き立ちます。
別々にあるより、二つ揃った方が、相乗関係にあります。
「妙」と「法」の関係でもあり、一対をなします。
緑があることで、赤は引き立ち、赤あることで緑は引き立ちます。
別々にあるより、二つ揃った方が、相乗関係にあります。
♪あるとき、ないときのCMのことを思い出しましたね。
あの肉まんのCMですね。
あの肉まんのCMですね。
あるときは、ないときがあって初めて、ありがたいと思います。
ないときは、あるときがあって初めて、ありがたいと感じます。
悲しいような気もしますが、あの肉まんの味を知っていなければ、そのありがたみも知らないままです。
ないときは、あるときがあって初めて、ありがたいと感じます。
悲しいような気もしますが、あの肉まんの味を知っていなければ、そのありがたみも知らないままです。
人生も同じかもしれません。
何もないのは、もともと何も無いのでなく、あったとき、なかったときを知った上で、何もないと感じることです。
何もないのは、もともと何も無いのでなく、あったとき、なかったときを知った上で、何もないと感じることです。
器の中に、饅頭がある。(有)(法)
器の中に、饅頭がない。(無)(妙)
つまり、無とはそこにないということです。
いえ、見えないというだけです。
器の中に、饅頭がない。(無)(妙)
つまり、無とはそこにないということです。
いえ、見えないというだけです。
妙法の「妙」の世界です。
無いというのは、もともと存在しないというのでなく、そこにないという状況ですね。
あるかないかは、見えるか見えないかの関係でもあります。
無いというのは、もともと存在しないというのでなく、そこにないという状況ですね。
あるかないかは、見えるか見えないかの関係でもあります。
よくみて下さい、器の中に、四角い葉書状のものがあります。
それを真上から、縦に置くと、一見すると無いように感じます。
そのものを横にしたら、やはり四角い葉書に見えます。
そこにないというのは、こうしたものかもしれません。
それを真上から、縦に置くと、一見すると無いように感じます。
そのものを横にしたら、やはり四角い葉書に見えます。
そこにないというのは、こうしたものかもしれません。
その器自体が、まさしく「空(くう)」ではないのかと感じます。
私は、仏の世界にご縁を頂いています。
それが「空(くう)」する器です。
私は、仏の世界にご縁を頂いています。
それが「空(くう)」する器です。
その中で、今あるのは、この現世です。
肉体の滅んだ状態には、その器には存在しません。
肉体の滅んだ状態には、その器には存在しません。
しかし、よく見ると魂はその器の中にいます。
見えないだけです。
また、肉体を得て、その空の器に見えます。
これは来世ですね。
この繰り返しを司っておられるのが、如来さま・仏さまです。
その中に住しています。
見えないだけです。
また、肉体を得て、その空の器に見えます。
これは来世ですね。
この繰り返しを司っておられるのが、如来さま・仏さまです。
その中に住しています。
生かされています。
ありがたいと感謝の念が沸きます。
幸せであると感じます。
ありがたいと感謝の念が沸きます。
幸せであると感じます。
根底が見据えられたと感じると安堵の気持ちでいっぱいです。
その空間、まさしく日常の生活の中でも、あるときないときは、生かされます。
その空間、まさしく日常の生活の中でも、あるときないときは、生かされます。
きれいな花を見て、それはあるとき、すこし時間が経てば、無いときになります。
あなたに見てもらうために咲いていたのかもしれません。
あなたに見てもらうために咲いていたのかもしれません。
月を見て、花を見て、今ある瞬間を、目線を下げたところの見えないものを見つけることに、生きる喜びがあるのかもしれません。
今日も平穏無事に過ごせますように手を合わせます。
最後まで、乾燥パセリの軽いエアーな話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。