''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「かしわ」は、「児の手柏」から来ている

鶏肉をなぜ「かしわ」というのか知ってますか?

「かしわ」は、鶏の戒名か?
そんなはずないでしょう。
関西や西日本を中心とした呼び名です。関東人は言いませんよね。

「かしわ」とは褐色羽色の日本在来種のニワトリのことで、それが鶏肉一般の名称に用いられるようになったとするのが辞書的な言いまわしであります。

奈良山(ならやま)の、児手柏(このてかしは)の、両面(ふたおも)に、かにもかくにも、侫人(こびひと)の伴(とも)
作者 消奈行文(せなのぎょうもん)

万葉集にも2首あるそうです。児の手柏の万葉集を紹介されているホームページや万葉植物園のホームページからの引用です。小さい子供の手のような形のヒノキ科です。

裏表がないくらい柏の葉っぱのようです。どちらが裏か表か区別がつないと言うことです。

つまり、鶏肉というのは、時に焼いたり煮たりとしていろいろな料理になります。しかし、使う部分や加工の仕方・味付けの仕方によっては、牛肉のようにも、豚肉のようにも、時に魚のようにバリエーションが豊富であるということなんだそうです。「そぼろ」なんかにして味付けられたら、何から出来ているのか分からないことがあります。京都岡崎の有名な料理屋の料理人さんから教えてもらったのを覚えています。いろんなこと教えて頂きました。

料理には、和歌や歴史や宗教観など多くの素養と関係があります。知らなくても知っていても別段味に変わりはありません。しかし、知って食べることの喜びも感動もあります。長い歴史の積み重ねの上に私たちは立っていますし、次につなげる歯車の一部なんです。食べ物ひとつにもしても、そこには名前があり、歴史があるように思えます。

そう思って、かしわを食べて下さい。一味変るかもしれません。でも、焼いたりするよりは、蒸したり煮たりする方が、プリン体の摂取少なくて済みます。

今日はなんだか「かしわのロース煮」が食べたくなりました。煮豚もおいしそうですが、少しみりん多めにして煮込んだの方がうまいです。これなら皮も身も楽しめます。

ひとつ疑問があるんですよね。細川幽斎の愛刀の太刀に「児の手柏の包永」という名刀があります。でも、この太刀は表と裏の刃文が、ちょうど鶏の身と皮のように違うんですよね。細川幽斎愛刀の中には、かの「古今伝授の行平」の太刀があります。一度見たことありますが、すごいの一言です。

ご存知の諸兄おいででしたらコメント下さい。