''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「岸壁の母」永遠に。

昨日のyahooのニュースに驚きました。
芸能生活75年を迎えた歌手の二葉百合子(78)が引退する言うニュースです。
ニュースに寄りますと、所属するキングレコードが発表したもので、17日に会見を開き、引退理由を自ら説明するとしています。

 浪曲師の東若武蔵さんを父の持つ二葉さんは、3歳で初舞台を踏み、芸能世界を踏み出します。
1956年には歌謡曲の歌手としてもデビューして、「岸壁の母」は大ヒットです。

当時としては、間奏にセリフを入れる歌謡曲はヒットしないと言うジンクスを打ち払い、間奏に独自の世界観を織り成すセリフが、その持ち味です。
また、女流浪曲を確立させ、世に知らしめた功績は大きいです。

浪曲というと難波節と言われるように、男性的な芸です。
今では、若い女浪曲師も存在します。
女性的な話、題材の浪曲もその幅を広げたと言えます。

岸壁の母・台詞入  二葉百合子 1982

女性の視点で見る親子の愛情、特に「情」のこまやかな機微に、時に涙することもあります。
二葉百合子の間奏に見せるセリフの中で、涙をするところがあります。
芸の極致です。

本当に泣いてしまえば、声が出ません。
涙声では、浪曲として、歌手として、芸をお見せすることは出来ません。
まさしく、無舌の極みです。
声ないところの、空間に見るものを住させます。

♪ 引き上げ船が帰ってきたのに 今度もあの子は帰らぬ 岸壁に立つ母の姿が見えぬのか 港の名は舞鶴

私の父の知り合いに、シベリアから舞鶴に帰って来た方がおいでです。
先日放送されていた『不毛地帯』の壱岐さんのように、シベリアの抑留されて、生きた帰られた幸運な方です。

その後、日本復興に尽力された方も多数おいでです。

多くの同胞が、シベリアの地で死に絶え、その存在も分からぬまま、母や家族は待ちます。
帰らぬ息子に対する思いは、人知れず募るばかりです。

寒い寒いシベリアの地は、この世の地獄です。
スープもパンも凍っています。
食するのも、寝るのも命がけです。

父の知り合いが言われるのは、余り多くを語られませんが、黒パンがもう一度食べたいと言われていました。
シベリアで唯一残る黒パンの記憶です。
どんなときにあっても、人は生きるを選びます。

食に対する記憶は、美化されます。
そんなに美味しいものではなかったはずの黒パンが、懐かしくさえある。
人の記憶も気持ちも、時間と共に変化します。

帰らぬ息子を思う母の気持ちも、今度も今度もと思いながら、待ち続ける母親の愛を強く感じる作品です。
歌や浪曲という芸でなく、作品としてのクオリティーが高いです。
そこには、二葉ワールドが広がります。

幾万回、この歌を歌われたと思いますが、そこには芸に対する思い入れや精神の集中が必要です。
気力と言えましょうかね。
これが、高齢となり続かなくなったことが、原因だと私なりに考えます。

一つの作品を、終生自分の作品として歌い続けられるのは幸せです。
いつまでもいつまでも、「岸壁の母」は残ります。
しかし、これが最高という歌はありません。

それじゃ「完璧の母」になってしまいます。(ここしか、笑うとこないですよ。とおるちゃん!!)

いつまでも、一期一会の精神で、初回と同じように同じように、丁寧に歌われていると思います。
茶道も芸道も、一期一会の精神です。

日々の生活も一期一会の精神は必要です。
それをしてやっている、していると意識することなく、日常に出来たら、これほどの極みはないはずです。

ありがたいと感謝できることから、始まります。
今日も生かされています。
ありがたいことです。

今日も痛風の痛みにさらされていますが、それでもありがたいと足元を見ます。
今ある幸せを感じなさいという御仏のお悟です。

今日も平穏無事に過ごせますように、手を合わせます。

最後まで、人の情けが目にしみる話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。