''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ラー油のブームです。

昨日の深夜には、パラパラと雨降る帰宅となりました。
今日は、朝から優しい日差しが、室内にも射しています。
春という感じです。

ほんにすこし暖かいとというより、初夏の日差しでもあるように感じます。
季節が前に前に進んでいることが、五感で感じます。
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最近何でも「ラー油」ブームらしいですね。
美味しいラー油が手に入らない状態になっているというから、驚きです。
そう言われると、私も手に入れたくなります。

いつもの百均です。
瓶の下には唐辛子が沈んでいます。
ボタンみたいなものを押すと、一滴一滴と流れ出ます。
これは便利です。

ラー油というと日清の「出前一丁」のインスタントラーメンをイメージします。
何とも哀愁のある懐かしい味わいです。
若いとき、ラーメン屋さんで長いことバイトしていました。
そんな時、卓上にはいろいろなものが置いてあります。

よくあるものなら、醤油、コショウ、塩、お酢、そしてラー油ですね。
京都のラーメン屋では、ヤンニン醤という唐辛子味噌を置いているお店が多いですね。
それをスープに溶かして、自分好みの辛さに合わすというわけです。
唐辛子の風味と発酵している唐辛子の風味が、豚脂のスープには合うかもしれません。

あくまでも好みの範囲です。
私は、コショウだけの方が自分好みの食べ方です。
折角の味わいが、飛んでしまうと個人的な感覚です。

しかし、中華屋さんの鶏ベースのスープには、時々ラー油を注すことがあります。
鳥のあっさりスープには、コショウもラー油も合いますね。
悪くないです。

最後に、脂っこくなった口をさっぱりするため、スープにお酢を入れます。
さっぱりとしたスープになって、後味がいいです。
あくまでも、入れる加減が必要です。

これは上級者用の隠しテクです。
入れすぎて、むせ返ると店内での笑いものとなります。
ご注意下さい。

ラー油のラー(辣)とは、中国四大料理の四川料理の七味がベースの一つです。
四川料理は、麻(山椒のぴりぴりする味)、辣(辛み)、甜(甘み)、咸(塩味)、酸(酸味)、苦(苦味)、香(香味)の七味のようです。
他の中国料理では、苦、辣、甜、咸、酸の「五味」が基本というから、四川料理はいかにも奥が深い味わいです。

その中でも、麻辣味は四川の代表格ですね。
ラー油も辛いだけでなく、深い複雑な辛さと旨みを持ち合わせています。
イチラー(一味唐辛子愛好者)としては、理解できます。

一味の辛さは、単調でありますが、それでいて七味唐辛子にはない持ち味があります。
香りは、七味の方が豊かです。
その分、この余分な香りが、食材の持ち味を邪魔することはありますからね。

一味唐辛子にこだわります。
オーケストラより、バイオリン、ピアノ、チャンパロの、独奏が心地よいと感じています。
奥行きや深まり、こそ違え、ピンと張った辛さには、快いものがあります。

ラー油も然りです。
辛いというくくりでなく、ピリッとしたインパクトと後から押し寄せる油の香りと旨みは卓越したものと言えます。

ハバネロなどの尖がった辛さでなく、風味豊かな味わいです。
ラーメンにも、最近はコロッケにも、数滴振りかけています。
一味と違った持ち味です。

油分の取り過ぎに気を付けると、辛味は塩分を控えさせます。
上手に塩分コントロールのために、一味や七味、そしてラー油を使います。

ラーと聞くと、ラームーですね。
ラームーと言えば、菊池桃子さんですね。
ちょっとマイナーかもしれないですね。
アイドルですよね。

今では奥様ですからね。
こんな奥さん家にいたらいいと思いますよね。
家で♪もう逢えないかもしれない、歌って欲しいです。
同世代のビックなアイドルですからね。

今日の日、この時はもう「もう逢えないかもしれない」ですよね。
一刻一刻、を大切に過ごすことこと、充実した人生を過ごさせてもらえると感じます。

しかし、頑張り過ぎてはいけません。
あせって走ってもすぐに疲れます。
疲れた時は、休めばいいです。

歩み続けることが必要です。
この道の先にある長安に向かって、一歩一歩進むだけです。
それが日常です。

ごはんを頑張って食べたり、頑張ってお茶を飲んだりはしません。
日常生活を、淡々と歩みます。
時に春を感じ、時に花を見て楽しみ、時に鳥の声に耳を澄ませます。
時に春を食し、時に月を見て喜び、時に風を頬に感じます。

生きていること、生かされていることを一日一日感じる。
それが生きるということだと感じます。
嫌なことも多いです。
その分、楽しいこともあるはずです。

それは特別なものでなく、日常に少し目線を下げれば、そこに落ちています。
それを拾うか、拾わないか、見つけられるか、見つけられないか、それだけのことではないかと感じます。

日々の生活によかったはあるはずです。
今日はどんなよかったが見つかるか楽しみです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、ピリ辛な話に最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。