''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

三世、ちょい食べカレーな物語より。

今日は、雨降る京都です。
全国的に雨のようですね。
天気がいいと思えば、雨が降る。

雨も天からの恵みです。
我貧家には、裏の物干し場の屋根に、雨の音がこだまします。
「往生しまっせ~」
それとも「チッチキチー」とちょけますか?

往生するとは、大変困ること。
それ以上に、困り果てること。
閉口することとも言えます。

ここで言う往生とは、往生際が悪いとかの往生ですよね。
不思議な言葉ですね。

往生とは、極楽往生(ごくらくおうじょう)の往生ですね。
往とは、極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事と書かれています。
人生まっとうして、老衰などの、自然死に至ることを大往生といいますよね。
つまり、ここから最後の追い詰められた状態に至った、これ以上如何することも出来ないという意味から、往生すると言われるようになったみたいですね。

語源とは不思議なものです。
それにを踏まえ、仏法の輪廻転生を踏まえ、「往生しまっせ」というと、何とも意味が深いものとになります。

もちろん、これは、大木こだまさんの持ちギャグですね。
もともと、大木こだま・ひかりとして1974年にコンビ結成。
当時漫才ブーム読売テレビの『お笑いスター誕生!!』で10週勝ち抜きグランプリを獲得したのは記憶にあります。

相方のひかりの不祥事(薬物使用) により、コンビも解散しましたね。
もともと、前のコンビ名は新幹線の名称の「こだま」・「ひかり」に由来します。

当時のすし屋ネタは好きでしたね。
カウンターで寿司職人がこだまさんです。
客が、ひかりさんです。
客が、いいます。

「その卵(玉)、にぎって」って。
「どれです」
「そこの黄色い卵(玉)」
「あー、これ。イカが、時間が経って黄色くなっているだけ」

そんな内容の漫才でしたね。
場内大爆笑です。
こだまさんは、いつものように飄々として笑いません。
それがまた面白かったです。

このまま、一気に売れ筋漫才師になると確信していましたね。
しかし、ひかりの薬が効いたようです。
「往生しまっせ」

相方のひびきさんも、1977年古都からん・ころんのからんさんとして活動していましたね。
テンポのあるしゃべり漫才だったと記憶しています。
しかし、その前にも中田ネオン・サインのネオンとして、デビューしていたのは、私は知りませんでしたね。
(つまり中田ダイマル・ラケットの孫弟子にあたる)。
(『ウィキペディアWikipedia)』参照、一部抜粋)
「往生しまっせ」

先日、家族会の話を記事にしましたね。
父がリックごと、「はい」って、私に渡しましたね。
家にある小鉢とか、食器とか入っているとのことです。
重い荷物でしたが、ありがたいと頂きました。

その中に、いろいろなものが入っていました、
なんじゃ、これって言うのが、『ちょい食べカレー』です。
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ステックタイプのカレーです。
お弁当や、一膳分のごはんにかけるカレーです。
昼ごはんにも、朝カレーにも重宝します。

しかし、温かいごはんに冷たいカレーとは、何とも不思議に感覚です。
カレーのルーは、温かいものと思う込んでいますからね。
ちょい食べには、いいです。

少し辛口になっています。
カレーとしては、なかなか美味いですけどね。
ちょいというネーミングがいいですね。

ちょい悪おやじのちょいですね。
少し悪いという意味ですよね。
それが堪らない格好いいというのでしょうね。
女性とは、男性のそうした少し悪い不良的な部分に憧れると聞きます。

そうか?
それがないので、私はもてないのですね。
かといって、ちょい悪を演じる気持ちもありません。
いつも、自然体です。

そんな私ですが、人として、生きるものとしての業(ごう)はあります。
罪深い業(ごう)です。
我郷里、播州では、「ごうわく」という言葉を使います。
「ごうわく」とは腹が立つという意味です。

これを漢字にすると「業沸く」ですね。
人間の業(ごう)が、ふつふつと沸いた状態を指します。
つまり、腹が立った状態ですね。

人としてのもって生まれた罪とも言えますし、本質的なものとも言えます。
人として生まれたからは、物を食さないと生けていけません。
動物でなくても、植物と言えども生きています。
それを殺して生きていかないと、一日たりとも生きてはいけないです。

人として生まれた来た宿命でもあります。
虫も殺せないほどの可愛い女性や子供とて同じです。
人の中に属します。
その中に、やはり人としての業が存在します。

それは、仏の前では、すべてが悪であり、すべてが善であるとも言えます。
仏の絶対的な世界に比べ、人は相対的な世界に住しています。

何かに比べて、善であり、正義でありします。
その逆も同じです。
一人は殺せば、人殺しですが、攻めて来た敵を1万人殺せば、まさしく英雄です。
ともに、人の命をあやめることに違いはありません。

この世は、「空(くう)」です。
仮の世界に住しています。
過去世、現世、来世は繋がっています。

過去世の宿縁が、現世にも影響しています。
過去世の因縁が、この現世にも現れる。
もちろん、現世の行い・因縁が、来世に影響します。

そうしたつながりが、三世の中にあります。
その三世を、人はくるくると輪廻を繰り返しているということになりますね。
このくるくるした世界から、脱出するのが、解脱(げだつ)であり、目覚めたもの、つまり仏陀(ブッダ)となります。
写真の3つのカレーもこの三世を表していますよ。

ちょい辛いカレーでは、なかなか目覚めません。
やはり、そこは凡夫の儚(はかな)さです。
インドもカレーの国ですからね。
いくら食べても目覚めませんね。

「往生できまっせ~」
この現世での修行が、まだまだ足りませんね。
今日も日々の生活の中で、仏の真理を求めます。
花を見て、月を見て、雨音を聞いて、生きていること、生かされていることに感謝しています。

今日一日が、私も世の中も平穏無事でありますように、祈るばかりです。

最後まで、ちょい悪なお話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。