祇園の一番下に当たります。
これより下は、六波羅の五条の地になります。
京都最古の禅寺であり、臨済宗建仁寺派の大本山です。
開山は、ご存知「栄西禅師」、鎌倉時代の建仁2年(1202)の創建です。
栄西禅師は、「えいさい」と学校で習いましたが、寺伝では、「ようさい」と記されているようです。
これより下は、六波羅の五条の地になります。
京都最古の禅寺であり、臨済宗建仁寺派の大本山です。
開山は、ご存知「栄西禅師」、鎌倉時代の建仁2年(1202)の創建です。
栄西禅師は、「えいさい」と学校で習いましたが、寺伝では、「ようさい」と記されているようです。
二度の入栄を果たし、日本に禅を伝えました。
同時に、中国からお茶も持ち帰って、栽培を普及させるべく奨励し、喫茶の方法を世に広めた「茶祖」としても有名です。
同時に、中国からお茶も持ち帰って、栽培を普及させるべく奨励し、喫茶の方法を世に広めた「茶祖」としても有名です。
建仁寺派という茶道もありますからね。
お茶と大変関係があるお寺です。
ここで有名なものが、国宝の「風神雷神図屏風」です。
この歩こう会、一つのボスの発案が、二体の風神雷神を絵と彫刻で鑑賞しようと言うものです。
お茶と大変関係があるお寺です。
ここで有名なものが、国宝の「風神雷神図屏風」です。
この歩こう会、一つのボスの発案が、二体の風神雷神を絵と彫刻で鑑賞しようと言うものです。
屏風の張ってある金箔の一枚の大きさで、時代が特定できます。
お宝の鑑定の基礎知識です。
「いい仕事してますね」
この寺は、何より庭が楽しいですね。
ゆっくりと座ってお庭を楽しめるようになっています。
もちろんこの時期ですから、戸はありません。
心地よい時期に来たものです。
お宝の鑑定の基礎知識です。
「いい仕事してますね」
この寺は、何より庭が楽しいですね。
ゆっくりと座ってお庭を楽しめるようになっています。
もちろんこの時期ですから、戸はありません。
心地よい時期に来たものです。
座敷が解放されています。
そこに腰掛けて本を読む人、少し横になる方、じっとお庭を眺めておられる方と、十人十色の過ごし方です。
一人で来れば、2時間は過ごせそうです。
禅寺だけに、白い砂利を引き詰めた枯山水です。
その周りに、緑を配し、白い砂利が海にも、宇宙にも見えます。
意図した石の配置にも、人間の心の様が、そこには比喩されています。
そこに腰掛けて本を読む人、少し横になる方、じっとお庭を眺めておられる方と、十人十色の過ごし方です。
一人で来れば、2時間は過ごせそうです。
禅寺だけに、白い砂利を引き詰めた枯山水です。
その周りに、緑を配し、白い砂利が海にも、宇宙にも見えます。
意図した石の配置にも、人間の心の様が、そこには比喩されています。
中には、○△口乃庭と言うのがあります。
これは別項目で取り上げます。
見所多い建仁寺ですが、有名なものというと、法堂(はつどう)の天井画、小泉淳筆「双龍図」ですね。
天井に二匹の大きな大きな龍が天にいます。
1匹は、手に玉を持っています。
5本の爪で、玉を握っています。
これは別項目で取り上げます。
見所多い建仁寺ですが、有名なものというと、法堂(はつどう)の天井画、小泉淳筆「双龍図」ですね。
天井に二匹の大きな大きな龍が天にいます。
1匹は、手に玉を持っています。
5本の爪で、玉を握っています。
法堂のどこにいても、二匹の龍がこちらを見ています。
八方にらみの技法ですね。
やはり圧巻ですね。
八方にらみの技法ですね。
やはり圧巻ですね。
そう言えば、私のブログにも、龍神さまも、夜叉も登場されています。
そう見えるだけの気のせいですね。
でも、私には時々、天の龍神さまの存在も感じることも、そのお姿を見ることがあります。
気のせいでしょうけどね。
そう見えるだけの気のせいですね。
でも、私には時々、天の龍神さまの存在も感じることも、そのお姿を見ることがあります。
気のせいでしょうけどね。
み仏のご縁の中、この歩こう会にご参加の方とも、過去世で何かのご縁があったと強く感じます。
ボスも観音さまを厚く信心されています。
ボスも観音さまを厚く信心されています。
そのお姿は見えないけれど、娑婆世界の遊ぶと言われますので、私のところにもお立ち寄り下さっていると感じます。
ありがたいと、心から安堵の気持ちで、「安穏の楽」を得られた心持です。
功徳を積んで、最後の「涅槃の楽」を手に入れないといけませんね。
ありがたいと、心から安堵の気持ちで、「安穏の楽」を得られた心持です。
功徳を積んで、最後の「涅槃の楽」を手に入れないといけませんね。
日々の生活の中にこそ、み仏のご縁に誘導されて、常寂光土に近づけますように、祈るばかりです。
一日一日、生かされていることに感謝して、自分の天命を全うする。
何のために生かされているのか、何のためにこの世に住しているのか、天からの声に耳を傾けないといけません。
一日一日、生かされていることに感謝して、自分の天命を全うする。
何のために生かされているのか、何のためにこの世に住しているのか、天からの声に耳を傾けないといけません。
天命を聴くと言う事でしょうね。
一日一日を、頑張らずに生きる。
不思議なことを言われると思うかも知れませんが、頑張っておられ方に、それ以上頑張れというのは無理なことです。
一日一日を、頑張らずに生きる。
不思議なことを言われると思うかも知れませんが、頑張っておられ方に、それ以上頑張れというのは無理なことです。
心の平静を旨とし、自然の摂理に逆らわず、今ある状況を、あるがままに受け止めることですね。
いいこともあれば、悪いこともあります。
それが普通です。
いいこともあれば、悪いこともあります。
それが普通です。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、その歩みにご一緒下さいまして、心よりお礼申し上げます。