''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

茅の輪をくぐって見たら、見えるものもありますよ。

今日は6月30日です。
今年も半分過ぎました。

 

大変な半年であり、いろいろなことのあった半年でした。
京都では、神社で茅の輪が用意されてますよね。
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(写真は、s門さんからお借りしました)

 

茅の輪(茅で作られた大きな輪)とは、正月からの半年間の罪穢を祓う夏越しの大祓に使用されます。
それをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれています。

 

水無月(みなつき)の 夏越しの祓(はらえ) する人は ちとせ(千年)の命 のぶ(延ぶ)というなり」という古歌に由来するようですね。
芽の輪の起源については、ある村に蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来という兄弟がいました。
あるとき、武塔神(むとうのかみ)(素盞嗚(すさのおのみこと)/須佐雄)が宿を乞うたところ、裕福な弟の巨旦将来が拒否しましたが、貧しい兄の蘇民将来は厚くもてなしました。

 

数年後、神が眷属を引き連れて村を再訪。蘇民将来とその家族の腰に茅の輪をつけさせると、神力を以って疫を起こし、巨旦将来をはじめとする他の者をことごとく滅ぼしました。

 

神は、「吾は速須佐雄の神なり。
後の世に疫気あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて茅の輪を以ちて腰に着けたる人免れなむ。」といって去ったということです。
(神戸市のホームページ 茅の輪くぐり より抜粋、加筆)

 

疫病から一族を逃れる由来は、八坂系神社にありますね。
八坂神社の粽は、この文字が入っていますよね。

 

京都では、6月30日に「水無月」というお菓子を食べる慣わしがあります。
三角のお菓子ですよね。

 

人生には、この輪のように、関があります。
関所の関ですね。

 

禅の言葉、禅語でも「関」と書かれたお軸を見かけることがあります。
何とも不思議な言葉です。
茶席に置かれてもピンと来ませんね。

 

しかし、禅の世界では、大きな「関」と言えます。
白隠の隻手(かたて)の声」などの最初の関門から、「末後の牢関(ろうかん)」と呼ばれる最後で最大の難関を通らねばなりません。

 

「末後の牢関(ろうかん)」と呼ばれる最終章の一つに「雲門の関字」と呼ばれる公案もあります。
この辺に来ると凡夫では、全く意味すら理解できません。
悟りの境地には程遠いです。

 

すべてについて、人にはその時々の関門という門があります。
クリアーしないと前には進めません。
前にしか道はないのです。

 

私ごとながら、仕事場が今日で最後となります。
最後と言っても明日も同じ場所に仕事に行きます。
しかし、会社として存続はしません。
消滅する運命になりました。

 

明日から、違う名前の会社にそのまま転籍ということになります。
勤務先もそのままです。
しかし、会社が変わったと言うことは、大変なことです。

 

仕事内容も仕事のやり方も、一から変わります。
デスクも変わります。
多量の役職が入ります。
平より役職の方がはるかに多いです。

 

今まで実質、私の仕事の時間帯は、事務は2~3人と言うところです。
明日からは、どうなるのか不明です。
人数が異常に増えます。

 

何も決まっていません。
知らされていません。
この数年で、2度も社名が変更しました。
そして、消滅です。

 

社会の中では、いろいろな物が渦巻いています。
いろんな憂き目にも遭います。
それも人生です。

 

幸いそのまま転籍しても仕事が続きます。
ありがたいことです。

 

私は小学生の高学年で習った教科書の『最後の授業』という小説を思い出しましたね。
フランスとドイツの国境地域に位置するアルザス・ロレーヌ地方が舞台です。
話自体は、普仏戦争でフランスが負けた時代ですが、幾度と世界第二次大戦までのドイツ支配の悲しい時代に続きます。

 

この地方もドイツ帝国支配になりました。
その為、この日がフランス語の最後の授業になったと言う話です。
主人公は、そうとも知らず遅刻して来ます。

 

ここから話は始まります。
授業をする国語のアメル先生もこの学校を辞めなければならない。
フランズ語でなく、公用語のドイツ語での授業となるためです。
最後に、民族の誇りを持つことを言い放ちます。
そして、万歳と叫びます。
記憶に残る「最後の授業」です。

 

昨日のワールドカップは、惜しくもPK戦で負けはしましたが、日本という民族の誇りは世界に示せたように感じます。
東洋に日本あり、世界に日本あり。日本万歳。

 

国としての誇り、人間としての誇りは、どんな時にあっても持ち続けないといけません。
最後の授業と同じように、今日が「最後の出社」となります。
悲しいような、物寂しいような複雑な気分です。

 

明日から、新しいドイツ帝国の支配が始まります。
社用の言葉も、ドイツ帝国体制です。
昔のフランス共和性の香りは、一切排除されて行きます。
イッヒ レルネ ドイチュー です。

 

これも私に課せられた大きな「関」です。
茅の輪のように、無病息災を祈ります。
これも御仏の仏縁なれは、前に前に進むしかありません。

 

この関の向こうに「長安」への道が続くことを信じて疑いません。
ありがたいと感謝の気持ちはあります。

 

今日も一日、明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、拙い関所の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。