''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

昼顔の涼やかな姿より。

雨も一休みのここ数日の京都伏見です。
すでに梅雨が明けたのか、明けていないのか、仕事の忙しさからニュースを長いこと見ていませんね。

ネットでニュースを読むというのは、便利です。
しかし、自分の興味があることしか目に留まりません。
全体的な季節感とかが薄くなりましたね。

そのネットのニュースすら、仕事場の激変から見ることもありません。
吸収するか、吸収されるか、大変な違いです。
夏が近くて暑いというのに、今年の夏は冷たい空気を感じます。

それも人生です。
真摯に受け止めることも必要です。
山あれば、谷あり。
いい時もあれば、悪いときもあります。

今が最悪と思えば、あとはいいことしか来ません。
気持ちも切り替えます。

先日の休日、体の疲れを引きずりながらも、こっちこっちと、お外(柴淳風に)連れ出されました。
鴨川の淵で、お昼ごはんを頂きました。
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私の大好きな酢飯のおにぎりです。
食べよいように、下から包むように海苔で包んであります。
具材は、鰻と蛸さんです。
金糸玉子と大葉の刻んだものをトッピン具―しています。

鴨川の川辺で頂く酢飯のおにぎりは格別です。
酢の利いた味わいと砂糖の甘みは心地よいです。

砂糖の甘みもそれほど強くないですね。
市販のものは、甘みが異常に強く感じます。
程よい甘さは、昼ごはんにはちょうどいいです。

鴨川に風が吹いています。
涼という字は、さんずいに、京と書きます。
さんずいは、水です。
つまり、京は、京都を表し、水は鴨川を表していますよね。

この時期、京都の繁華街の二条から五条までの鴨川に淵には、料理屋さんの床と呼ばれる川の上に作ったベランダのようなものがあります。
この床の上で食事をとるのです。
京都の通な楽しみ方の一つです。

しかし、昼間も夜も繁華街では暑いですね。
風が通りにくいです。
戦前の古い記録によると、この床は、本当に水の上近くに設定されていたようです。

ちょうど、貴船の川床のような、座っている下を水が流れるようになっていた。
この上で、水の涼しさと水の音を聞いて、ご馳走を食べ、涼を得ていたのですね。

しかし、七条辺りでも風の通りがいいです。
川幅もぐっと広くなっています。
川辺も整備されて遊歩道になっています。

鴨川の水の流れを見ているだけでも、日頃の疲れが取れますよね。
ここで昼餉を取れるのはありがたいです。

願わくば、あれです。
シュワーか、ぐびぐびですね。
体調も考えて、ビールは控えています。
日本酒でもよかったですが、この日は用意がありません。

都合数時間、鴨川の水辺で過ごしましたね。
全く飽きないですね。
もう少し涼の風を求めに、これから行くことになります。
この辺なら、智積院(ちしゃくいん)のお庭を見ながらのんびりと時間を過ごそうと考えています。
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その道々に、昼顔の花が咲いています。
何とも品のいい花です。
私の貧とは、音が同じだけです。

花を見て、月を見て、川の流れを見て、心が癒されます。
心のバッテリーも充電できます。
花はいいですね。
この年になって、花の魅力が分かって来たような気がします。

カメラを向けて写真です。
隣のカメラマンも、私のダメ出しに困惑気味です。
父上様からの拝領のデジタルカメラに少々不慣れな手つきです。

それでも、数枚写真を撮れば、それなりに上手に手馴れてきましたね。
やはり、慣れることが一番です。
機械も体の一部となれば、使い勝手がよくなります。

何でもやってみないといけません。
会得するには、練習あるのみですね。

基本に忠実に、丁寧に、これを心がけています。
いつも、人生の基本に返ります。
生きているわけでなく、生かされています。
ありがとさんと感謝の気持ちが必要です。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事であることを、祈ります。

最後まで、花のある話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。