''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

深夜食堂 焼きうどんより。

遅い帰宅に、夜風は冷たく感じます。
革ジャンは、まだ必要な寒さではないですが、遅くスクーターでの帰宅には、上着は欠かせません。
そんな時期になったのです。

 

スクーターなどに乗っていると、季節が1、2ヶ月早いです。
特に夜と早朝は、季節に関係なく別世界の気候であることもあります。

 

昔、早朝6時より勤務をしていたことがあります。
朝4時半には起床せざるを得ません。
通勤は、スクーターで片道20分ほどでしたが、早朝の出勤は突然のアクシデントが続きます。

 

冬場は、真っ黒の漆黒の朝です。
太陽も昇っていません。
時には、一面銀世界ということもありました。

 

それ以上に、顔が切れる冷たさです。
体も朝から暖まっていません。
暖を採る手段がないわけです。

 

何か過ぎりました。
池宮彰一郎著の『四十七人の刺客』の冒頭、寺坂吉右衛門が、討ち入りを三次浅野の屋敷に伝えに言ったシーンから回想されると記憶しています。
身分低き足軽は、正門横の控えのまで待たされます。

 

冷え切った極月半ばの14日です。
朝の訪問です。
内匠頭の妻、瑶泉院に吉良家討ち入りの報告のために、一党を密かに離れ、今入る三次浅野家に出向いたわけです。

 

ものすごく待ちされます。
もちろんです。
高家の吉良家に討ち入ったということは、お上に対する謀反です。

 

テロ行為です。
その犯罪者を屋敷に入れたとなれば、瑶泉院に取り次ぎをしたと言えば、謀反の幇助とみなされて、三次浅野家も同罪です。

 

重役方の話し合いが付かなかったということです。
そのでも、静に火の温かささえない冷え切った控えの間に、伏せたままです。

 

「温かい白湯さえ、一杯なりとも」
そんな愚痴のような言葉があったように記憶しています。
記憶も定かではありません。

 

温かい白湯と言うのは、それだけでご馳走です。
今では、白湯を飲むというと、貧乏くさい感じがしますが、お茶当時裕福の象徴です。
今でも「粗茶ですが」と謙遜していいます。
その代わり、コーヒーというと、贅沢な感じを持たている年配の方多いです。

 

実は白湯もなかなかたいした物です。
美味い水を沸かした白湯も、美味しいものです。
水道水を沸かしても、どうしても独特の香りがします。
一度沸かして冷ませば、多少独特味も香りもましになります。

 

しかし、美味しい水を沸かした白湯には、水の甘みと清々しい香りがあります。
茶人が、水に拘った理由も分るような気がします。
美味い白湯でないと、美味いお茶は点てることが出来ない。
当然の理です。

 

手や顔が切れる寒さには、温かい白湯一杯が、それだけでご馳走である。
納得です。

 

遅い帰宅に、空腹も強く感じます。
何か温かいものでも頂きたいです。
冷蔵庫を見ます。
閃きました。
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焼きうどんを作ろう。
夜ですから、汁ものも考えました。
歳です。
トイレが近いとなれば困ります。(どんだけ年寄りじみたのだよ。まだまだ40半ばです)

 

口が、焼きうどんです。
辛いウインナーが入っています。
もやし、野菜も残り物ばかりです。
夜食の焼きうどんは、体が暖まります。

 

一味唐辛子もフリフリしました。
青海苔代わりのパセリもフリフリです。
何となく、焼きうどんに見えます。

 

味は、ウースターソースと隠し味の醤油ベースです。
なかなかどうして美味いです。
醤油ベースの焼きうどんなら、熱い燗酒も欲しくなります。

 

平日は、アルアルタイムもナシナシタイムに切り替えて、すこし我慢です。
節制しています。
季節の変わり目に体調を崩しそうになりますから、用心のためです。

 

我が家の深夜食堂の焼きうどん、いいですね。
もうすぐすると、汁モノの鍋焼きうどんも美味くなります。
下が切れそうな熱々の鍋焼きうどん、最高です。

 

何を入れようかと、冷蔵庫と相談です。
伊勢海老の天ぷら、すっぽんのスープ、ズワイガニの足と、贅沢な想像をしながら、かまぼこと玉子とホウレン草の入ったような質素な鍋焼きうどんでも、なかなか贅沢です。

 

温かいということが、最大のご馳走なのですからね。
寺坂さんにも、温かい鍋焼きうどんぐらいご馳走してよかったように感じます。
それに「ご苦労様」という温かい労い言葉が、心を芯から暖めたように感じます。

 

人としては、常に考えていけないことです。
人の労力に最大の労いが必要です。
その言葉におごってはいけません。

 

仕事辛いことも多いけど、楽しいこともあるはずです。
仕事をさせて頂いていることに感謝して、元気に働けることに感謝する。
ありがたいと手を合わせます。

 

心の三毒を廃し、心静に安穏に暮らすを旨としています。
いろいろなことがあります。

 

気にしないということも大切です。
柔和忍辱の心、是ありです。
自分にも言い聞かせます。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、焼きうどんの麺のような長い話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。