''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

さつま芋物語より。

秋の驟雨です。
朝からパラパラと雨模様の京都伏見の地です。
今は既に止んでいます。

朝の深まりを感じます。
山々の木々も紅葉の気配も感じます。
仕事場に植えてある木々も色づいています。
そんな秋の様子に、私のブログも食欲の秋週間の様相です。

昨日、播州の里から届き物がありました。
すこしだけ農家もやっていますので、米や家で作った物が入っていました。
昨日は里芋とさつま芋でした。

さつま芋は、泥付きの畑で掘ったそのままを袋に入れています。
早速、泥をきれいにとって、ふかし芋にしてみました。
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美味そうです。
早速頂いてみました。

振りかけた塩の加減もいいですね。
さつま芋もホクホクして甘みもあります。
焼き芋も好きですが、ふかし芋の方が好みです。

塩の加減がいいんでしょうね。
じゃがいも好きですので、やはりじゃがいもも、ふかしてじゃがバターも美味いですよね。
すこしバターの塩分が食欲を書きたてます。

さつま芋と言えば、薩摩の産です。
もともとは唐芋と呼ばれる外国産の芋です。
江戸中期、青木昆陽によって日本の食糧難を切り抜ける奨励された食品界のスーパーマンです。
蕎麦、じゃがいもと共に、食料難を救う最強の救世主です。

薩摩と言えば、今や大河の『龍馬伝』では、重要な雄藩です。
長州とともに、徳川の世を終わらせ、新しい明治という時代に押し上げた原動力たる藩です。
薩長土肥の雄藩が、中心になって、新しい社会の仕組みを作り出したというのが明治時代への幕開けです。

その中でも薩摩の活躍は大きいです。
しかし、その英雄の大半が下級武士です。
米など食わず、このさつま芋こと唐芋を食って、生きてきたような生活です。

その中に、池波正太郎氏の作品には、『人切り半次郎』など中村半次郎こと、後の桐野利秋に関する小説が多いです。
確かに、魅力ある人物に思えます。
貧しい下級武士から、後の陸軍少将まで登りつめます。
もちろん、この時の陸軍大将は、西郷隆盛です。

常に西郷の密命の下に、暗躍します。
本人は言われるままに、したがった結果でしょうね。
難しい尊皇攘夷や開国だという思想的なものはなく、一心に西郷の下、明治という時代に突き抜けた影に隠れた偉人とも言えます。

最後は、西南の役で西郷と運命を共にします。
身分も出世も金も求めません。
なかなか出来ないことです。

一つのことに、まっしぐらに生きれる人生は幸せです。
それが、いいことなのか、悪いことなのかは、後世の人が判断することなのかもしれません。
一つのことに、一念をして生きていけるのは、喜びでもあります。

私もこのまま、この前の道を進めば、きっと長安に通じていると信じて進みます。
疲れればひと休みし、また歩みを進め、その繰り返しです。
迷いも多いです。
それも人の進む定めです。

日々の生活の中で、煩わしい雑事に、ストレスを感じ、イライラ虫もうじうじ虫も心を占拠します。
心の三毒を廃し、心静に安穏に暮らしたい。
それだけです。

ありがたい仏縁を頂いて生かせてもらっていることは、ありがたいです。
安堵感を感じます。
三世十方の仏のご縁を頂いて、今日も生かせてもらっています。
法華経の妙義、法義二つの真理の元に、物事の成り立ちを手探りで求めながら、日々の修行が続きます。

まずは、今あることに感謝して、今あることの天命に耳を傾ける。
腹が減っては、戦は出来ません。
秋の旬の味覚を堪能できることに、やっぱり感謝です。
ありがとさんです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせるように、祈ります。

最後まで、味の薄い空芋の話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。