''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

疎水に咲く花より。

先日の土曜日は、宇治川のほとりで、2時間ほど静かに過ごしました。
秋の訪れと、秋の空気を、秋空とともに満喫しました。
その時は、お寿司に発泡酒、そしてシャンパンとチーズクラッカーという、用意万端でした。

静に、宇治川の水の流れを望んでいました。
近くに、近鉄電車の鉄橋が通っています。
時折、電車が鉄橋を越えます。
独特の鉄橋の音色です。

橋と電車と川は絵になります。
その名画を鑑賞しながら、遅い昼餉と昼間のシャンパンタイムです。
風もそれほど冷たくもなく、ほんに秋の日差しが心地よいと言ったところです。

何も考えない。
何も思わない。

心の穏やかな秋風が吹きます。
日頃のストレスや嫌な出来事もしばし離別の瞬間です。

宇治川の水の流れも、満々と水を湛えて、悠久の歴史をそのままの姿で、時の流れを感じさせないように流れています。
この水は、いずれ大海へと続きます。

時折、鉄橋を通る電車の音色が、心地よく合いの手を打つかの如くです。
宇治川源流を見上げると、大小二本の橋が架かっています。
観月橋、とも豊後橋と呼ばれる風情のある橋です。
その上に、大きな橋が架けられています。

道すがら、疎水の淵を、この宇治川に向かって歩んできました。
ちょうどいい散歩道です。
大手筋から、龍馬通りというと、観光客でいっぱいです。
それらとは別に、月桂冠の大倉辺りから、疎水を登ってくれば、観光客のいない日常の伏見、疎水の風景です。

釣り糸を垂らしている方がいます。
浮き沈みする浮きを見ながら、しばしの時間をそこで過ごす。
日頃のストレスを晴らされているかのようです。
何もしないで、ただ釣り糸を見る。

いい時間です。
そんな釣り人を横目に見ながら、疎水を河口に進みましたね。
そんな時、この時期緑が薄くなった疎水の岸辺に、きれいな花がぽっとりと咲いています。
何とも愛らしいと、一枚写真を撮りました。
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花を見て、月を見て、心静に心を穏やかにします。
四季の花に目をやり、そこに癒されるわけです。
月を見て、しばし美しいと思う心を見つけます。

日々の生活は、いろいろと疲れます。
人に出会えば、それで疲れるわけです。
「怨憎会苦」と言えば、心良く思わない人と一緒にいる苦しみですね。
それも人の生きる上では、越えないといけない修行です。

いい縁を結び、悪い縁を切り去る。
これが、現世の修行です。

私は幸せなことに、ありがたい仏縁を頂いています。
ありがたいことです。

心の三毒を廃し、心静に安穏に暮らすを旨としています。
なかなか上手く行かないこともあります。
仏様におすがりして、心穏やかに過ごせるように、その術を心得ています。
それでも、上手く行かないこともあります。

一心に心の迷いを断ち切るかのように、観音様の名を唱えます。
心静に、穏やかに気持ちが整います。
状況は、変化していなくても、自分の心は落ち着きます。
気にしないという状況に達するに、しばしの時間もかかることもあります。

仕事終わり、一日の終わりに、今日もありがとさんと、感謝の気持ちを忘れないように努めています。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、花のない話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。