''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鷹ヶ峰 光悦寺から秋を通して、何が見えませうより。

イメージ 4

昨日に続いて、20日土曜日のもみぢ狩りの様子を書き記しています。
昨日もいい天気で、21日の東寺の弘法市を楽しみ、その足で東福寺にもみぢを見に行きました。
この記事も後日書き記します。
イメージ 1

源光庵を後にして、次に向かうのは、ほんに近くの光悦寺です。
光悦とは、本阿弥光悦です。
何して人って言われると、うーん考えますね。

本阿弥と言われると、なんかお金持ちって、それは浦沢直樹さんの漫画『YAWARA!』の本阿弥さやかさんのイメージです。
本阿弥財閥ですからね。
主人公の猪熊柔さんをライバル視してますが、お嬢様としてのプライドと努力は見習わないといけません。

もしかしたら、子孫かもしれませんね。
本阿弥と聞けば、刀剣の世界では大家です。
刀剣の鑑定家として室町、安土桃山、江戸時代と、折り紙を出せる家柄です。
現在もその家業として存続されていますからね。

当時は、鑑定もさることながら、研ぎや刀の手入れをするのが、本業です。
戦なら、戦場にも同行します。
戦になれば、刀の手入れが命を左右します。
信長、秀吉、家康と戦国時代を共にします。

しかしながら、神は二物も三物も与えます。
現代なら、芸術家、総合アートプロデューサーと言えます。
茶の湯にも、工芸品にも、書家としても、チョー一流です。
家康から、この鷹ヶ峰の地を賜ります。
もちろん、現在の住所も鷹ヶ峰光悦町です。

後に本阿弥家の墓所として寺院となったのが、日蓮宗光悦寺の今日に繋がっています。
この寺からは、市内が少し見渡せます。
なかなか日常では見られない風景です。
イメージ 2

ここはもみぢの寺としても有名です。
寺院からは、鷹峰三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰)を借景にして二つの茶席が存在しています。
やはり、我が家も、隣のお庭を失敬するのは違いますね。
イメージ 3

本阿弥家と言うと、やはり鑑定の家柄です。
しかし、政治的な役割もありました。
秀吉や家康は、戦に勝っても、家来に与える領地が既にありません。
ですから、秀吉は朝鮮出兵、明国へと軍事行動も、一つの要因にあります。

土地だけでなく、その恩賞の品には、茶器や刀もありました。
秀吉が、吉光、正宗、義弘と三作と定めたわけです。
それまで、名刀という感覚はあっても、具体的に作者を特定するようにことには、あまり力をいれていませんでした。
備前刀という括りはあっても、その作者にまで精通している方も少なかったですからね。
研ぎをする時、中子(なかご)に銘が入っています。
その時、作者を特定できます。

しかし、時代は太刀より、刀に移りつつありました。
長い太刀では、腰に差せません。
戦も徒歩へと移りつつ有りましたからね。
「やあやあ、我こそは」という名乗りも上げません。
鉄砲の時代ですからね。

世の中も安定してくると、戦場の太刀でなく、刀の寸法のなります。
太刀を刷り上げて短くします。
そうすると、銘の部分がなくなります。
サインがないのでは鑑定出来ませんからね。

それらを細かく家の伝承で伝えているわけです。
作者の作風を、細かく書き移しています。
スケッチするわけです。
今も、当時の本阿弥家の物が残っています。
私も見たことがあります。

吉光、唯一の太刀「一期一振」も当時の姿が記されています。
今の再刃のモノとは違いますね。
天下人秀吉は、自分に合う寸法に短くしています。
さすが天下人です。
実際に腰に付けたということでしょうね。

刀の価値が上がります。
そうすると、恩賞に名刀が与えられます。
吉光は、そんなにありません。
正宗もそうです。
義弘に至っては、銘はありませんからね。
あればお化けという扱いです。

しかし、正宗という刀工は、大勢います。
土佐なんていうのも、正宗ですからね。
少しいいのを、本阿弥さんが、これも「正宗」という折り紙(鑑定書)や朱色で書くと、不思議不思議、摩訶不思議、本物の「正宗」として通る訳です。

偽造と言わないでよ。
正宗と言っているだけです。
土佐とは書いてないものね。

300諸侯に与えるだけの正宗がありません。
刀に至っては、城和泉守正宗と言われる刀と数本しか、正宗と言えないはずです。
それもそのはず、正宗ファクトリーで作られていたのですからね。
家内製手工業です。
お弟子と共に作ります。
どれが、正宗で、どれが一番弟子の義弘で、どれが養子の彦四郎か分らない訳です。

ですから、作風もいろいろです。
こうなると鑑定は至難です。
それでも、本阿弥さんが、正宗と言えば正宗ですからね。
天下人や幕府公認です。

真実も嘘の分らなくなりますね。
仏の世界も、真実と方便の中にあります。
どれが真実で、どれが方便なのか、真実の教えこそ、妙法華経と言えます。
なかなか理解しにくいことも多いのが、真実と言えます。

そんいう仏縁に預かれたことに感謝です。
心の三毒を廃し、穏やかなに過ごしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、真実と方便のハザマの話にお付き合い下さいまして、心よりありがとさんです。